第6回:中国の強さとは(上)
渡辺: 会社作って大きくして株式公開して自社ビル建てて、というようなダイナミズムじゃなくて、いきなり個室から世界につながるみたいなことになった時に、なんかやっぱりそっちでの面白いことがいっぱい起こると思うんですけど。アジアで、そういうことが起こっていくとしたら、どのあたりからなんでしょうか。
リン: そうですね、先ほど日本に賭けると言ったのと矛盾するように聞こえるかもしれないんですが、正直、日本や台湾を中心でそれが起きる、というイメージで自分を完全に説得することはできないんですね。結局、やはり中国を中心に起きてしまうのだろう、と。
未開地域が多く、資本主義を敷いていくにはまだまだスペースが十分な中国だが、その閉鎖空間から世界とつなぐ時には、逆に資本主義のシナリオを打破、無視する様態になってしまう感じがします。なのでその「つなぎ」が起こっていくとしたら、中国と台湾の間とか、中国と日本の間とか、中国とマレーシアの間とか、でしょうか。なぜか「間」でないと起こらないと思うんですね、渡辺さんの言う現象は。文化的な摩擦がないと起こりえないような気がしますけど、そんな気がする根拠はいま思いつけないんですが。
言い方は悪いんですが、台湾は日本の乳を吸って大きくなって、その後はアメリカの脛をかじってさらに育っていったわけですね。その過程で、例えば電話は黒いダイヤル式電話から、色つきのボタン式電話、FAXつきの電話、で、今の携帯電話といった具合に、だんだんと小さくなっていくその過程は持ってるんですね。ちゃんと世界とともに戦後の60年を歩んできたから、日本とアメリカとの文化の摩擦が少なく、日米からみると「話のわかる相手」ですね。
しかし中国は台湾と違って、電話のないところにいきなり携帯電話が入ったわけです。本屋さえないところに、急にインターネットカフェが。中国人からすると普通なことでも、日米からみると自分の体験することのない、ありえない異常現象です。しかし、それが中国の「次の時代に対応する能力」の強さになるのです。
出版に限って言っちゃうと、アメリカとヨーロッパと日本は、たぶん世界三大出版システムとして、完成してるわけです。それぞれ自分のやり方が、たぶん20、30年前にはもうすでに固まってたんですね。どう製造して、流通して、売っていくかという、方法と役割がほとんど決まってて、あとはもうマニュアル通りにやっていけば回せる、業界が一つの大きな会社みたいな感じになってるんですね。
でもこの三つとも、固まる前にはネットがなかったんです。なので、今ネットの出現に対応するには、ものすごい痛みが伴うことになるのです。手を切って足を切って、代わりにサイボーグのパーツをつけないといけないんです。その前に切るのが手なのか足なのかでもういっぱい悩み種がありますね。そしてそのあとは痛みをこらえてリハビリをしていたら、実は適合していなくて、またもう一回切るところからやらないといけない、そういう可能性も、あるんです。
ただ中国は違って、ネットのある今でも、その出版システムはまだゼリー状の混沌なんですね。特に流通は全然固まってないんです。でも、もし近いうちに中国が固まってきたら、もう完成形なんです。きっとなんか飛びぬけた、日本かアメリカから見ると「なんだそのやり方は」っていう、しかし一番「今」に符合するものが、出てくるのだろうと。中国の出版界がネット小説を重視しているところも、もうほかの国とは全然違いますね。雑誌での人気投票、売れっ子作家の作品を載せて新人作家を引っ張っていくなどのやり方を飛ばして、いきなりもうクリック数でですべて決まるという感覚。
もちろんアメリカや日本も、10年後、今の10代か20代が、20か30代になった時には、それもいきなり全然違うやり方でやれちゃうかもしれないですけどね。今の10代、20代の感覚は、はっきり言って50代の人と全く違うんですから。
渡辺: やはり次の時代、中国が強いんでしょうか。うーん。しがらみのないところでいきなり、新しい波が乗れちゃうところは、とてもうらやましいんですが。でも今はやっぱりそれがあまりにもデタラメすぎるってことで、各先進国と間で大きな軋轢を生んでいるわけです。
僕もコンテンツを作って、それで食っている人間ですから、中国の現状を見ていててびびることもあるんですね。僕の原作アニメを中国に持っていこうとしても、なんだそれなら中国ならもう字幕もついて全部ネットで見られるよ、なんて言われたりとかね。リン: アニメだけではなくドラマもありますよ。サイト名は伏せますが、というか複数ありますが。この間『世にも奇妙な物語春の特別編2008』を中国語字幕付きで視聴しましたよ。渡辺さん原案の作品も含めて。上げられてきたのが放送されて一週間ぐらいかな。
渡辺: この間リンさんと講談社の太田克史さんと一緒に中国へ行った時に、やっぱりあれは意図的にやっているんじゃないかと思ったんです。そして、もしあのやり方が国家的な戦略だとしたら、とてつもなくおそろしいわけです。
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国としては今、デジタルコピーできないもの、すなわち野菜とか工業製品とか、そういうものを、低価格で大量生産することに血道を上げていく。一方で、著作権の価格はゼロに設定しておく。著作権フリー特区のような状況ですね。
その間はもちろんオリジナルのコンテンツは生まれないし、クリエーターも育たない。その代わり一般大衆はコンテンツを無料で大量に消費することができる。それで、民度は最高速度で上がっていく。そして、時機を待つ。コンテンツの価値を大衆が理解して、その中から、オリジナルの新しいものを生み出す才能が出てくる時機をです。
そして、その時ついに、それが正当にお金を集める仕組みを稼働させる。
次の時代、物質の価値がどうで、情報の価値がどうで、人々はそれらをどう生産して、そこでどうお金を稼いで。そして、どう幸せになっていくか。そういうことを、頭をいっぺん真っ白にしてゼロから考えると、このやり方が実に有効に思えてくるわけです。
必死でコンテンツビジネスをしている方々にはなかなか言えないことなんですが、中国の、ものすごい数の若者に、日本のマンガやアニメを理解してもらっているのも、現在までの無法な状況ゆえ、とも考えられるわけです。
リンのコレクションである中国で購入したWiiソフト。
パッケージの表紙のカラーコピー1枚でCDを挟み、ビニール袋に入れて完成…!
1枚3元か5元だったようで、よく覚えていない。
その先いつか、正当なコンテンツビジネスができる国になるという可能性も、しっかり感じるんです。ただ、そのプロセスは簡単ではない。中国に対して欧米スタイルの著作権モラルをいきなり押しつけようとしても、土台無理なわけです。
かといって国家や企業としては、中国を特別扱いするわけにはいかない。例えばディズニーに象徴される著作権ビジネスも、過去百年以上にわたってしっかりと築き上げられてきた資本主義システムの一部ですからね。どの一端も崩せない。それがもし改良や改善だって、既存の権威側としては許すわけにはいかないんですね。
政府どうしや企業対企業では、どうしても無理なんです。こういうことって正論でぶつかり合っても答えは出ない。「法を守れ」と言っても「そんな法は知らない」って言い返されるわけですから。
けれど、こないだ中国で、コスプレイヤーの若者達と『デスノート』とか『バイオハザード』の話で盛り上がった時、こういう共感を延長させるところから、良い方向に行けるかもしれない、と感じたわけです。同じことに感動するよね、同じもので感動して価値を感じるね、みたいなことで、直接つながることができたらいいなあ、と。
当時の「中国国際動漫節」の会場で撮れたシュールな1枚。
並行で開催したコスプレコンテスト「COSPLAY超級盛典」を、
全国大会まで勝ち抜けてきたチームなだけに、レベルが高い
(注・おばあちゃんはコスプレイヤーではありません)
そこで新しい法体系を提示しよう、というわけではないです。もっといい加減な考えなんです。偉い人や怖い人はほっておいて、僕らだけの原っぱで遊ぼうぜ、みたいなね。例えばマンガ好き同士でざっくばらんに話せば、ああいう人に描いてもらいたい、こういう作品を読みたい、という話に当然なるわけです。じゃあ、優秀な人に新しい作品を描いてもらうには、どうすればいいか。ネットからダウンロードしてただで読ませてもらってるばかりじゃだめだ。たとえば好きな作家にネット経由で励ますだけじゃなくてみんなで投げ銭みたいな形で支払って、それで次の作品を描いてもらうなんて、どうだろう……そんなふうに、自然と考えていけるわけです。
個々の作品や作家について、情報や意見のやり取りみたいことは、もう国境を越えてできるようになってる状態です。そこからさらに一歩進んで、「おたくさぁ」的な仲間意識が持っていけるかどうか。日経新聞を読んでいるお父さんより、同じアニメ雑誌を読んでいる上海の陳くんとの方が僕はよく話をしているよ、というような世界に、僕は健全性を感じるんです。
なんかディズニーをパクッて遊園地作ってるとか、『クレヨンしんちゃん』のコピーが大量に出回ってるとか、そういう状況をふっとばすくらいの健全性をですね。
リン: 実際、自分の感覚だと、50才以上の人と、30才以下の人は、理解はあるんですよ。たぶん問題はやっぱりその間、ちょうど渡辺さんのような世代が、わかってないと思うんですよ。渡辺さんはかなり特殊だと思いますけどね。
【つづく】
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「中国の強さとは(下)」は
2009年6月4日更新予定です
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第4回:台湾から見る世界の今(上)
渡辺: 折角ですので台湾の現状と近未来についてお聞きしておきたいのですが。これまでのことを振り返ると、台湾には、中国だった時代と、日本だった時代があるわけですよね。そして20世紀の中頃、中国で革命が起きた際に、政府主流派の人々が南京から逃げ延びてきて、とりあえずのつもりで政府を樹立して統治を開始したところが、とりあえずのままで現代に至っています。その中途半端な状況の中で、製造業を基軸に20世紀後半、資本主義世界の中で大きな成功を収めたわけです。
そして今後、台湾はどうなっていくのでしょうか。リン: 面白いですね。地図から消えてしまう可能性も含めて。
渡辺: 思いこみかもしれないのですが、経済と文化の両方をわかっているリンさんが、アジアと欧米、共産主義と資本主義、そういった二つの世界の境界に常に居続けた台湾のような場所からこそ見えるようなことがあるのではと。
リン: 恐縮です。では、考えを整理することもかねて、まず現状に至るまでの流れをおさらいしたいと思います……そうですね、20世紀後半での台湾の経済的な成功は、個人的には日本統治時代、および国民政府時代の後期に実行したインフラの整備が基盤になり、その上に築きあげたものだと思います。
1945年以前の日本統治時代、日本は台湾について農業を主要産業としていたため、水利事業にすごく力を入れていました。八田与一が設計して建造した、嘉南平原の耕地面積を30倍も増やした嘉南大圳はたぶん一番有名ですね。嘉南平原はもともと、降水量が少ないから何も育てられなかったのに、それを人間の力で変えてしまったのです。八田与一は今でも、台南当地の人に評価され、慕われています。
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時には「台湾の人々をより統治しやすく、台湾の資源をより簡単に搾取するためにやったのだ」とか「大したことない、評価する必要がない」とか言ってる人もいますけど、私は彼らに同じ条件を与えて『シムシティ』を50年プレイしてほしいですね。ここまでやれるならやってみろ、と。
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渡辺: 政治的なこと、歴史的なことは常に主観的にしか語れないのでこういう場でその時代の話をすることは難しいと思っていたのですが、避けずに話して頂いてありがたいです。
リン: 正直、政治の差別や格差を言い出したらキリがないので、そんなアホなことばかりこだわってると、歴史から何も見出せないと思いますが。これは同じく国民政府時代に実行した建設に当てはめられますけど。
渡辺: 第二次大戦後ですね。
リン: 国民政府時代というのは、1949年台湾に転移してきた中華民国政権のことで、その「とりあえずの政府」ね。
軍隊と政権を台湾に連れてきた蒋介石ですが、台湾独立運動家の活動や小林よしのりの『台湾論』で、日本では「台湾を暴力で支配した悪玉」みたいな認識になってる人は多いようですけど。まあ確かに蒋介石はファシズムの崇拝者で、台湾で政権を維持するため、「白色恐怖」などの弾圧行動で反対勢力をつぶし、無関係の人々もかなり処刑していたのですから、そういう評価がされてもしょうがないんです。でも時代は時代で、ファシズムも国を救う術として信じられてた時代もある、と思いますが。- 作者: 小林よしのり
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海外の台湾独立運動家にすごく影響されて、主観的な主張も強いですが、
実に綿密な取材をもとに、台湾に好意を持て描いたいい本だと思います(リン)
朝鮮戦争は米ソ大戦を引き起こし、中国にも攻撃が仕掛けられる、その後に大陸に戻れる。そう思っていたら、スターリンが亡くなって朝鮮戦争があっさり終わってしまった。経済も政治もできるだけアメリカに媚びて、選挙を推進したり農地改革をやったりとか、台湾が資本主義を徹していたのもそのためだと思いますが、アメリカに援助と国連も含めた外交的な支持を求めようとしても、1971年に国連に追放され、しまいに1978年にアメリカからも断交された。
蒋介石は、いったん中国を統一したこともあった人ですが、晩年は台湾という小さな島に閉じ込められ、この小さな島で中国のために中国に戻るためにやってきたすべてのことが、ことごとく期待通りの結果にはならず、惨めと言ったら本当に惨めだと思いますよ。業というかカルマというか、人の気持ちを考えずにしてきたら、そういった見えないものは、やはりはね返ってくるのですね。
蒋介石は亡くなるまで「台湾を渡り板にして中国に戻る」ことをあきらめなかった。台湾を仮に身を置く腰掛けとしてしか見ていないから、政治プロパガンダと、軍事目的以外の公共建設についてはそんなに力を入れてなくて、むしろ統治時代の日本の方が根を下ろすつもりでやっていたように見えます。それは日本は台湾を渡り板ではなく、ずっと確保したい食糧倉庫として見てましたからね。
ただ蒋介石が亡くなり、その息子の蒋経国が総統になって、いろいろと変わりました。変わらざるをえなかったのですが。
蒋介石時代の農地改革で良い影響もあるが、結局日本統治時代で築き上げてきた農業中心の経済をズタズタにしてしまい、資本は工業の方に流れ、外資も積極的に呼び込み、少しは発展に結びつきましたがやはり軽工業にとどまり、70年代に入っては国連追放など一連の外交の失敗など、蒋経国は蒋介石時代の後期ですでに内閣に身を置いてるから、権力のバトンが渡される前にやっかいな現実に直面してましたね。
70年代という、オイルショックもあった世界でも変動の多い時期に、外交の失敗で国際に孤立されているから、経済をなんとかしないと自らの身が守れない、アメリカに媚びるよりアメリカに必要とされるようになる、などと踏んだのか、軽工業を重工業に切り替えるためのインフラ整備、「十大建設」を内閣時代に企画実行しはじめ、80年代に入る前に成し遂げたのです。日本のためや中国のためではなく、台湾の将来のためのその的確な公共投資は、70年代後半の台湾の経済を活性化しました。
空港や、高速道路、原子力発電施設などを建設し、オイルショックを鑑みて石油化学工業を推進して。税金の無駄遣いの多い今思うと、その時には実に先読みをして考えぬいた、実りの多い経済政策を実行していましたよ。
またアメリカの80年代でユーフォリアを経て、低迷が見えてしまってたんじゃないんですか。資金は投資先を探してアジアへ来て、最優先の選択はやはり日本ですが、政治的に孤立されている台湾も候補に入れられたのは、やはり十大建設があったからと思うのです。日本へ入った資金が、そのあとバブル景気になったんですが、台湾に入った資金は、製造業、ハイテク産業への発展につながることができたのです。
ちなみにハイテク産業への方向転換も、この時期で決められ実行されたのです。私は1976年生まれなので、成長期はちょうどこの時期と重なってましてね。父が30代の頃から、その当時「今すぐには回収しないが将来のためにやらなければ」というハイテク産業に賭けて身を粉にして働いて、10数年後ちゃんと結果を生んだ人なので、その「無から有」の過程を、より間近に見ることができました。執行時にはかなり強引なところもあったけど、方向性がとても明確で、台湾を繁栄させるような軌道に乗せたのです。
蒋経国は蒋介石時代、政治的な弾圧行動を実行した人でもありますので、その弾圧行動に耐えかねて、外国へ脱出した台湾独立運動家からすると、彼も悪の一味なんですけど。日本もそうなってる感じがしますね。この十大建設を「見栄っ張りな蒋式建設」とか、運が良かったとか、計画性経済だから役人と財閥がこれらの公共投資で不正にえらく儲けてたとか言う声も絶えませんが、80年代初頭に空港と高速道路を揃えて、そしてそのあとの十年間で、関連の追加整備がちゃんとできていたからこそ、90年代の台湾の厚い経済基礎が作れて、その後の李登輝時代で李登輝が公共施設の建設を省みずに民主化などの政治改革、悪く言えば国民党内の粛清に打ち込められた、と思います。
また蒋経国時代で、戒厳令の解除と、中国との交流を民間レベルで再開させたなど政策も実施されました。台湾では近年蒋経国を再評価する声も高まっていて、彼のことを慕って懐かしんでいる。もっとも親しまれて、もっとも懐かしまれる総統だとも言われてます。原因はやはり、十大建設がもたらした富と進歩だと思いますよ。
ただまあ、その経済効果は、陳水扁時代になってさすがに消耗しつくされましたが。
【つづく】
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次回「台湾から見る世界の今(下)」は
2009年5月21日更新予定です
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第2回:経済現象か、文化現象か
渡辺: リンさんは、お父上の出資を受けて出版社(全力出版)を経営しているわけですよね。ビジネスのバックグラウンドのもとで、コンテンツプロデュースを行っている。リンさんの立ち位置がすごく面白いと思うのは、そこから経済と文化の両方が良く見えているということです。
リン: あ、そうですか。そうか、気付きませんでした。
渡辺: 「おたく」の本質を理解するには、そういうスタンスが大事なんです。なぜなら、「おたく」という言葉は今や文化用語でもあり、経済用語でもあるからです。
お話を伺っていると、つまり台湾では、その経済的側面の方が先に注目されているということなのではないでしょうか。「おたく経済」としてね。あるタイプの若年層の間でどういう風にお金が使われているか。どういう商品がどういう価値をもって流通しているか、という観察のされ方ですね。リン: 鋭いですね。台湾社会では、政府も業界も学会も、アニメやマンガのようなコンテンツビジネスに対する視線は基本的にほとんどその経済効果に集中していますね。
マーケット規模を算出するのにすごくすごく熱心なんですが、そのような規模になりえた理由についてや、その規模を維持する方法については、誤解に基づいた推測や想像ばかり。「日本はマンガとアニメの専門学校がいっぱいで、人材教育に力を入れてるから発展しているのだ」とか、「日本政府がマンガ産業を援助して奨励しているからだ」とか、麻生太郎が総理になってから、そのやっかいな思い込みがもっと激しくなったのですが。本題とは全く関係ありませんが、
ただローゼン閣下の関連ネタとしてすばらしかったので張りたいだけです(リン)
特にATフィールドがいい…と元ネタはこちら。
そんなちゃんとした考察もせずに得た結論を元に、的外れな政策をがんがん推進していたら、ただの税金の無駄遣いになるのに。近頃はまた、コンテンツ産業を「低コスト高リターン」という理由で重点推進産業にしているが、どう見てもとれないタヌキの皮算用に一所懸命、哀れなもんです。
それで現在「宅経済」やら「おたく経済」やらで騒ぎますが、見つめているのがやはり金と品物の流れで、まあそれも非常に重要だと思いますが。しかし、大事な何かが欠落しているため、的を射れずに空回りして、せっかくぼんやりと見え始めた新しい概念が、ただキャッチフレーズのみに留まりチープに消費されてゆくのです。
渡辺: 本来「おたく」という言葉は、特異な文化現象として捉えるところから始めないと正しい分析はできないわけです。
リン: その通りですね。そうだ、そもそも日本で「おたく」という言葉が生まれた頃のことなど、記憶にありましたら教えてください。
渡辺: もともと日本での「おたく」この言葉は、80年代サブカル系の雑誌メディア界で頭角を現した大塚英志さんとか中森明夫さんといった若手評論家の方々が使い始めたことがマスコミでは最初だったわけですが、その数年前からアニメやマンガのマニアの現場では普通に聞かれる言葉だったんです。
ここで、大きな誤解を解いておきたいんですが、おたくというのは自「宅」にひきこもって愉しむタイプの人、という意味でできた言葉ではないんです。勘違いしている人が多いんですが。リン: 台湾だけでなく、日本でも今だにそう思っている人が多いですよね。
渡辺: だから、心療用語としての「ひきこもり」との混同が起きるわけです。おたくの語源は「家」、ではなくて、二人称なんです。つまり、他人に対して「あなたは」とか「君」ではなく「おたく」と呼びかける人達のことを「おたく族」と呼ぶようになったんです。
アニメの上映会とか同人マンガ誌の即売会とか、あるいは特撮映画のファンの集まりとか、そういうところで、初対面でも、同じものごとを好きだということがわかっている人々と出会うことになるわけです。その微妙な距離感というか不思議な親近感に基づいてお互いのことを「あなたは」や「キミは」ではなく「おたくさあ」なんて呼び合っている状況が当時、外側の人達からはとても特異に見えたみたいなんです。なんか変な、失礼な奴らだなあなんて。けれど、今ならその雰囲気、わかるでしょう。リン: ええ、よくわかりますね。
渡辺: コミュニケーションができない奴ら、みたいに思われていたかもしれませんが、実はそこに新しいタイプのコミュニケーションがあったわけですね。「おたく」同士で呼び合う人々の間に、非常にマニアックな小さな世界のことを一緒に深く深く掘り下げてるんだという共感意識があったということです。
リン: それは、『ひらきこもりのすすめ』に書かれていたような、日本古来の職人世界的なこだわりと似たものかもしれません。
そもそも江戸時代は鎖国していて、つまり国自体が「ひきこもり」だったわけです。そこで独特な文化が熟成していたんです。趣味的な非常に狭い世界のものをですね、お金儲けとか一般世間の評価ではなく、自分自身の趣味志向とプライドのために、一生かけて掘り起こすような。そういう行動によって、茶器や食器が芸術品になったり、わいせつ図画としての版画が美術品になったりということが起きたのではないか、と僕は考えています。大量生産を旨とする世界では無視されてしまうような細部までのこだわりによって製品の質を上げていくということです。それは生産性や商業性ではなく、趣味的な美学を基軸としているからこそありえたクオリティー。そこに「おたく」の原点があるわけです。
だから本来それは資本主義的な経済の文脈だけでは語れないものなんです。文化としても、捉えなければならない。
日本でもね、「オタク経済」「萌え経済」みたいなものが一時期盛んに語られ、そのマーケットを専門家が分析しようとしていたことがありました。なんとか総研の方や、かんとかアナリストの方に、僕なんかも話を聞かれることがあったんですけど、そういう人達は、アニメやマンガの客層のことを、「おかしなことにじゃんじゃん金を使ってくれる奇特な人々」というふうにしか見ないんです。いや、はっきり言うと、アニメも見ないゲームも遊ばないようなスーツ姿のエリート・サラリーマンは、おたく、という人々に対して蔑視、というほどではないんですが、ただの新しいカモとしか見てないということにショックを受けたわけです。
- 作者: 野村総合研究所オタク市場予測チーム
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……やる気だというならあると思いますが……
リン: 結局どこでも一緒ですか……
渡辺: ここは強く言いたいことですが、制作者だけではなく、その、お金を払っている側、消費者の側に創作性があるところが、おたく経済の面白いところなんですね。
「ひらきこもり」って言葉を提示したのは、「ひきこもり」っていう言葉と「おたく」っていう言葉の曖昧な関係を、経済、文化、そして社会の経済活動、個人の創作活動、両側から捉えることによって明確にしていきたいという考えも、あったからなんです。だから、リンさんのようにビジネスマンでありクリエーターでもあって、さらに両方の視点からものごとを見ることができる人に、期待しているわけです。【つづく】
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「進化する個人、そして社会」は
2009年5月14日更新予定です
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第1回:「おたく」と「宅」は同義語ではない?
リン: 林依俐(りん・いり)です。台湾の編集者で、全力出版の主宰でもあります。よろしくお願いします。
渡辺: 渡辺浩弐(わたなべ・こうじ)です。日本で小説家をやっています、よろしくお願いします。
リン: 今回は、渡辺さんがずっと提唱されている「ひらきこもり」という生き方について、お話を聞こうと思っています。なぜいまこれを取り上げようと考えたか、その理由を、先に話します。
2008年の十月に世界金融危機が発生してから今まで、引き金を引いたアメリカはもちろん、ヨーロッパでも影響され、失業率の上昇が目立ちます。日本でも経済的に大きな打撃を受け、ホンダもソニーもみんな予想業績を下方修正、リストラが止まらず内定もはじかれる、大変なことになっていますね。台湾でも、若い人のみならず、失業者の急増や無給休暇で、社会問題になっています。ところがその一方で、マスコミの煽りもあるんですが、にわかに注目を集めているのが「宅経済」というキー・ワードです。宅・経済、よく「オタク経済」と訳され解釈されますが、実際の使われ方をみると、そうとも言えません。
渡辺: 「宅」とは、おたく、OTAKUのことですか。
リン: そうですね。間違いなく日本の「おたく」が語源です。でも台湾での「御宅」は使われはじめて約15年、「宅」になった時には意味が日本とかなり違うものに変貌しています。
渡辺: ああ、「御」が取れたんですね。
リン: 80年代中期以後、台湾社会がより開放的になりまして、日本の本とビデオ、またテレビゲームも含め、前よりずっと気軽に手に入れられるようになりました。それが90年代初期になってさらに加速し、ほぼタイムラグなしで…あっても半年ぐらい程度で、たとえローカライズされていなくても、日本からの輸入盤で手に入れる形ですが。
このような土壌に、ディープなマンガ好き、アニメ好き、ゲーム好きが育てられました。今までも、70年代の海賊版やローカライズのテレビ放映を見てマンガとアニメが好きになった層がいますが、この80年代中期に十代を送った世代はまた違っていて、もっと手軽にたくさんの作品が手に入り享受でき、より早くマンガを読みたいやゲームをもっとスムーズにプレイしたいがために、日本語を勉強したりしていました。それで前の世代のマニアより、むしろ当時の、正確にいうと80年代の日本のマニアと似たような体質や生態に持つようになります。90年代初期は日本のOVAの全盛期で、新作が次々と作られ、内容の幅も広く、発売形態も多様でした。たとえば『銀河英雄伝説』のような毎週一本発売の荒業さえありましたね。その『銀英伝』も含めたアニメも、ほとんど海賊版ですが、少々待てればきっとどっかで売られていました。その中、だいたい94年前後ですが、日本では91年に発売された『1982 おたくのビデオ』と『1985 続・おたくのビデオ』が一本の海賊版ビデオになり、大学のマンガやアニメのサークルを中心ですごく話題になって注目を集めました。ちょうどその時も学内ネットのBBSが普及した時期で、「御宅族」、つまり「おたく」という言葉が一気に広まりました。
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渡辺: 『おたくのビデオ』が海外でそんな影響力を及ぼしていたとは。
リン: その原因は大きく二つありまして、一つは作品の中にあるルポルタージュ「おたくの肖像」です。アニメの途中で差し込まれる実写の映像で、インタビュー交えて当時の日本で「おたく」と呼ばれた人の生態が紹介されていますね。しかもアニメに挟んだ実写を使う手法で非常に目新しく、「おたく」という外来の概念でも、当時ではまたそんなに理解されてないコスプレイヤー、マンガ・アニメファンとの重複が少ないがいるはいるサバイバルマニアとか、「日本ではこのような人をひっくるめて『おたく』と呼ぶのか」と、わかる、ような気分になります。
もう一つは、さきほど言及した80年代の日本のマニアと似たような体質を持つ人たちは、その頃ちょうど大学生や高校生になっていましたので、「自分もこの人たちと少し近いところがあるぞ」みたいな、共感を得つつ、同時に「おたく」は日本では蔑視されていることもなんとなく感じ取っていました。かたや、『おたくのビデオ』シリーズの作りで、後半は「おたく」をかなり高く上げてるじゃないですか、『戦え!オタキング』の歌だってすごく盛り上がるものですし。それがまた当時、日本のサブカルとシンクロしていて台湾のマニアが抱えいた、周りに理解されないある種の劣等感から救ってくれました。その「『おたく』は日本で蔑視される」と理解してる人と同時に、「『おたく』は尊敬される、尊敬すべき存在だ」と理解する人もいます。時が流れ、いつしか後者の方が強くなっていました。まあ、これはアメリカでも同じ現象が起きてますね。
「おたく」という言葉は『おたくのビデオ』で「御宅族」として台湾に輸入され、その文化に共鳴しさらに深く踏み入れてる人もいれば、表層だけ書き取って嬉々と「御宅族」と自称する人はもっとたくさんいました。ただどっちにしても、またアニメ・マンガ・ゲームマニアの間、つまり仲間内でしか語れないものでした。
時は2005年、『電車男』の映画とそのあとのドラマも台湾で放映されて、その仲間内の言葉が急に大衆のモノになりました。これは日本でも同じと思いますが。特にテレビドラマ版の『電車男』は、伊藤淳史の演じる主人公の「おたく」を、大衆でもわかりやすいステレオタイプにして、それを台湾の視聴者にも届けたのです。
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渡辺: 「宅男」のイメージはわかるのですが、「宅女」とは。腐女子みたいなことですか。
リン: かぶっているのもあるかもしれませんが、「宅女」はかならずしも腐女子ではないんですね。「腐女子」という言葉は、台湾ではちゃんと「BL好きの女」そのままの意味で、「腐女子」か「腐女」のような形でサブカル界隈に使われていて、まだまだマスコミの餌食になっていない言葉ですが。「宅男」も「宅女」も、基本的には両方とも「ヒッキー」の意味です。性別が違うだけで。
しかしそれだけでなく、最近はまさにその意味を拾って、景気の低迷した今この時に新しい顧客層としてマスコミで盛んに取り上げられるようになっていて、「宅経済」という言葉が出てきました。「家の中にこもって、外に出ない人たち」向けの経済、と。日本で取り上げられていた「萌え市場」とは似てるけれども、もっと包括性の高い言葉のようですね。こちらの実体はまだ計られてはいなくて、まあ、話題優先といったところなんです。最初は「ヒッキー向けの経済」のように使われていましたが、次第に在宅アルバイトや内職もそう呼ばれるようになりました。「不景気なのに家にこもってる人向けの産業が儲かってる」から「リストラされて家で毛糸帽子を編んでブログで売って儲かった」までをすべて「宅経済」の一言で括り、「宅経済が盛り上がってる!」などとわけわからない使い方も。
芸能人の母親が滷味(煮込み料理の一種)を作ってネットで売り、
売れ行きがいいから「宅経済がすごい」との内容のニュース。
ちなみにどうでもいいかもしれませんが「滷味」についての豆知識はこちらにご参照。
まあ流行だから語感もいいので「宅経済」を繰り返してるだけだと思いますが。ただし、実際に調べてみると、例えば台湾のオンラインゲームビジネスは、経済が落ち込み始めた2008年11月、12月あたりから、確実に収益がぐっと上がっているんです。また、ネットショッピングやオンラインのオークションサイトなど、オンラインの経済活動は軒並み活発化しています。なので、そのめちゃくちゃな報道姿勢をさて置き、「宅経済」という言葉で表せる、表せるべき何かが、確かにあると思います。
そこで渡辺さんの著書『ひらきこもりのすすめ』のことを思い出して、読み直してみたら、びっくりしました。最初の版が出たのが2002年で、当時、私は人生啓発論と、創作論と、近未来ビジネス論を組み合わせた非常に面白いスタイルの本だと思いつつ読んでいたんですが。
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渡辺: ありがとうございます。
リン: で、その後『ひらきこもりのすすめ2.0』として追補版が出たのが2007年。そこでは、今の金融危機に至る世界経済の動きが予言されているんですね。まだ、これから起きるはずのことについてもかなり鋭いことがたくさん書かれているので、それらについても、今日はたくさん話していただけたらと思うんですが。
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渡辺: はい、もちろんです。
リン: 個人的に特にピンと来た部分は、資本主義が行き詰まり、アメリカが破綻していくことの予想です。私の父親は実業家なのですが、同じ頃から似たようなことを言ってたんですね。
渡辺: リンさんのお父上は台湾で有名な企業のリーダーであり、その発言も株式市場に大きな影響力を持っているそうですね。以前僕も訪台した折にお会いすることができたのですが、非常に気さくで、頭が柔らかい方という印象でした。
リン: その父が言っていることと同じことが日本の本に書いてあったので「うわあ、こっちもひとり同じことを言う人が!」と驚いたわけです。そこで私としては、この状況は予想できたことだった、としたら、これを突破することもシミュレーションできるはずだ、と。そこで「ひきこもり」や「おたく」といったキー・ワードが重要になるはずだ、と。ぜひこれを、もうちょっと一歩踏み込めればな、と思ったわけです。
【つづく】
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「経済現象か、文化現象か」は
2009年5月11日更新予定です
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ご来訪ありがとうございます。リンです。ここでコメントの受付についてのご説明をさせていただきたいと思います。
この対談は、日本語・繁体字中国語・簡体字中国語を使った三つのブログでの同時連載です。渡辺とリンは、テキストをお読みになった皆さまのコメントを言語問わずに、できるだけ応えていきたいと思います。よってコメントの受付を、以下で提示する三種類の方式を用いて行いたいと思います。
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- 毎週月曜日、渡辺とリンはそれぞれ kozy と elielin でご質問の中から選択し、答えさせていただきます。その返事も週末、hirakikomori 名義で翻訳されます(日⇔中)
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