第6回:中国の強さとは(上)

渡辺: 会社作って大きくして株式公開して自社ビル建てて、というようなダイナミズムじゃなくて、いきなり個室から世界につながるみたいなことになった時に、なんかやっぱりそっちでの面白いことがいっぱい起こると思うんですけど。アジアで、そういうことが起こっていくとしたら、どのあたりからなんでしょうか。
リン: そうですね、先ほど日本に賭けると言ったのと矛盾するように聞こえるかもしれないんですが、正直、日本や台湾を中心でそれが起きる、というイメージで自分を完全に説得することはできないんですね。結局、やはり中国を中心に起きてしまうのだろう、と。
未開地域が多く、資本主義を敷いていくにはまだまだスペースが十分な中国だが、その閉鎖空間から世界とつなぐ時には、逆に資本主義のシナリオを打破、無視する様態になってしまう感じがします。
なのでその「つなぎ」が起こっていくとしたら、中国と台湾の間とか、中国と日本の間とか、中国とマレーシアの間とか、でしょうか。なぜか「間」でないと起こらないと思うんですね、渡辺さんの言う現象は。文化的な摩擦がないと起こりえないような気がしますけど、そんな気がする根拠はいま思いつけないんですが。
言い方は悪いんですが、台湾は日本の乳を吸って大きくなって、その後はアメリカの脛をかじってさらに育っていったわけですね。その過程で、例えば電話は黒いダイヤル式電話から、色つきのボタン式電話、FAXつきの電話、で、今の携帯電話といった具合に、だんだんと小さくなっていくその過程は持ってるんですね。ちゃんと世界とともに戦後の60年を歩んできたから、日本とアメリカとの文化の摩擦が少なく、日米からみると「話のわかる相手」ですね。
しかし中国は台湾と違って、電話のないところにいきなり携帯電話が入ったわけです。本屋さえないところに、急にインターネットカフェが。中国人からすると普通なことでも、日米からみると自分の体験することのない、ありえない異常現象です。しかし、それが中国の「次の時代に対応する能力」の強さになるのです。
出版に限って言っちゃうと、アメリカとヨーロッパと日本は、たぶん世界三大出版システムとして、完成してるわけです。それぞれ自分のやり方が、たぶん20、30年前にはもうすでに固まってたんですね。どう製造して、流通して、売っていくかという、方法と役割がほとんど決まってて、あとはもうマニュアル通りにやっていけば回せる、業界が一つの大きな会社みたいな感じになってるんですね。
でもこの三つとも、固まる前にはネットがなかったんです。なので、今ネットの出現に対応するには、ものすごい痛みが伴うことになるのです。手を切って足を切って、代わりにサイボーグのパーツをつけないといけないんです。その前に切るのが手なのか足なのかでもういっぱい悩み種がありますね。そしてそのあとは痛みをこらえてリハビリをしていたら、実は適合していなくて、またもう一回切るところからやらないといけない、そういう可能性も、あるんです。
ただ中国は違って、ネットのある今でも、その出版システムはまだゼリー状の混沌なんですね。特に流通は全然固まってないんです。でも、もし近いうちに中国が固まってきたら、もう完成形なんです。きっとなんか飛びぬけた、日本かアメリカから見ると「なんだそのやり方は」っていう、しかし一番「今」に符合するものが、出てくるのだろうと。中国の出版界がネット小説を重視しているところも、もうほかの国とは全然違いますね。雑誌での人気投票、売れっ子作家の作品を載せて新人作家を引っ張っていくなどのやり方を飛ばして、いきなりもうクリック数でですべて決まるという感覚。
もちろんアメリカや日本も、10年後、今の10代か20代が、20か30代になった時には、それもいきなり全然違うやり方でやれちゃうかもしれないですけどね。今の10代、20代の感覚は、はっきり言って50代の人と全く違うんですから。
渡辺: やはり次の時代、中国が強いんでしょうか。うーん。しがらみのないところでいきなり、新しい波が乗れちゃうところは、とてもうらやましいんですが。でも今はやっぱりそれがあまりにもデタラメすぎるってことで、各先進国と間で大きな軋轢を生んでいるわけです。
僕もコンテンツを作って、それで食っている人間ですから、中国の現状を見ていててびびることもあるんですね。僕の原作アニメを中国に持っていこうとしても、なんだそれなら中国ならもう字幕もついて全部ネットで見られるよ、なんて言われたりとかね。
リン: アニメだけではなくドラマもありますよ。サイト名は伏せますが、というか複数ありますが。この間『世にも奇妙な物語春の特別編2008』を中国語字幕付きで視聴しましたよ。渡辺さん原案の作品も含めて。上げられてきたのが放送されて一週間ぐらいかな。
渡辺: この間リンさんと講談社太田克史さんと一緒に中国へ行った時に、やっぱりあれは意図的にやっているんじゃないかと思ったんです。そして、もしあのやり方が国家的な戦略だとしたら、とてつもなくおそろしいわけです。
ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER) (7) (講談社MOOK) (講談社 Mook)

ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER) (7) (講談社MOOK) (講談社 Mook)

「一緒に中国へ行った時」というのは2007年5月の「中国国際動漫節」の取材で、その取材の成果は『ファウスト』Vol.7に収録してあります。渡辺浩弐さんによる「中国国際動漫節レポート」と、渡辺さんと編集長太田克史氏との対談「カルチャー・ビッグバン発生中!」にはより詳しい内容があります。レポートでは私の撮った写真を何枚か使ってくれてます。読んでね^_^(リン)
国としては今、デジタルコピーできないもの、すなわち野菜とか工業製品とか、そういうものを、低価格で大量生産することに血道を上げていく。一方で、著作権の価格はゼロに設定しておく。著作権フリー特区のような状況ですね。
その間はもちろんオリジナルのコンテンツは生まれないし、クリエーターも育たない。その代わり一般大衆はコンテンツを無料で大量に消費することができる。それで、民度は最高速度で上がっていく。そして、時機を待つ。コンテンツの価値を大衆が理解して、その中から、オリジナルの新しいものを生み出す才能が出てくる時機をです。
そして、その時ついに、それが正当にお金を集める仕組みを稼働させる。
次の時代、物質の価値がどうで、情報の価値がどうで、人々はそれらをどう生産して、そこでどうお金を稼いで。そして、どう幸せになっていくか。そういうことを、頭をいっぺん真っ白にしてゼロから考えると、このやり方が実に有効に思えてくるわけです。
必死でコンテンツビジネスをしている方々にはなかなか言えないことなんですが、中国の、ものすごい数の若者に、日本のマンガやアニメを理解してもらっているのも、現在までの無法な状況ゆえ、とも考えられるわけです。

リンのコレクションである中国で購入したWiiソフト。
パッケージの表紙のカラーコピー1枚でCDを挟み、ビニール袋に入れて完成…!


1枚3元か5元だったようで、よく覚えていない。

その先いつか、正当なコンテンツビジネスができる国になるという可能性も、しっかり感じるんです。ただ、そのプロセスは簡単ではない。中国に対して欧米スタイルの著作権モラルをいきなり押しつけようとしても、土台無理なわけです。
かといって国家や企業としては、中国を特別扱いするわけにはいかない。例えばディズニーに象徴される著作権ビジネスも、過去百年以上にわたってしっかりと築き上げられてきた資本主義システムの一部ですからね。どの一端も崩せない。それがもし改良や改善だって、既存の権威側としては許すわけにはいかないんですね。
政府どうしや企業対企業では、どうしても無理なんです。こういうことって正論でぶつかり合っても答えは出ない。「法を守れ」と言っても「そんな法は知らない」って言い返されるわけですから。
けれど、こないだ中国で、コスプレイヤーの若者達と『デスノート』とか『バイオハザード』の話で盛り上がった時、こういう共感を延長させるところから、良い方向に行けるかもしれない、と感じたわけです。同じことに感動するよね、同じもので感動して価値を感じるね、みたいなことで、直接つながることができたらいいなあ、と。

当時の「中国国際動漫節」の会場で撮れたシュールな1枚。
並行で開催したコスプレコンテスト「COSPLAY超級盛典」を、
全国大会まで勝ち抜けてきたチームなだけに、レベルが高い
(注・おばあちゃんはコスプレイヤーではありません)

そこで新しい法体系を提示しよう、というわけではないです。もっといい加減な考えなんです。偉い人や怖い人はほっておいて、僕らだけの原っぱで遊ぼうぜ、みたいなね。例えばマンガ好き同士でざっくばらんに話せば、ああいう人に描いてもらいたい、こういう作品を読みたい、という話に当然なるわけです。じゃあ、優秀な人に新しい作品を描いてもらうには、どうすればいいか。ネットからダウンロードしてただで読ませてもらってるばかりじゃだめだ。たとえば好きな作家にネット経由で励ますだけじゃなくてみんなで投げ銭みたいな形で支払って、それで次の作品を描いてもらうなんて、どうだろう……そんなふうに、自然と考えていけるわけです。
個々の作品や作家について、情報や意見のやり取りみたいことは、もう国境を越えてできるようになってる状態です。そこからさらに一歩進んで、「おたくさぁ」的な仲間意識が持っていけるかどうか。日経新聞を読んでいるお父さんより、同じアニメ雑誌を読んでいる上海の陳くんとの方が僕はよく話をしているよ、というような世界に、僕は健全性を感じるんです。
なんかディズニーをパクッて遊園地作ってるとか、『クレヨンしんちゃん』のコピーが大量に出回ってるとか、そういう状況をふっとばすくらいの健全性をですね。
リン: 実際、自分の感覚だと、50才以上の人と、30才以下の人は、理解はあるんですよ。たぶん問題はやっぱりその間、ちょうど渡辺さんのような世代が、わかってないと思うんですよ。渡辺さんはかなり特殊だと思いますけどね。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「中国の強さとは(下)」は
2009年6月4日更新予定です
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第5回:台湾から見る世界の今(下)

渡辺: 世界的にも、重工業の発展が頭打ちになった時代ですし。
リン: 90年代をまたがる李登輝時代は、民主化とか本土化とか、総統の民選を推進した政治的に評価されることが多いですが、自分もそれを否定するつもりはないんですけど、あの時期はまったくと言うほどインフラ整備がしてなかったのですからね。というよりインフラ整備案として提出された「六年国建」は大量の国債しか残ってなかったのです。何もできていないのにね、お金だけがどこかへ消えて。
その後の陳水扁時代は、さらに泥沼化した政治と狂ったマスコミに振り回されてしまい、福祉政策と称して民衆に金ばら撒いて有権者の支持を獲得しましたが、基礎建設を長い目で見れなくなって、即効性がなければやらない、やるとしても即効で成果がほしいから適当にやって、中途半端なものがほとんどでした。
革命だとか改革だとかばかり追いかけて、結果的によりどころを失い、こだわりも無くしてしまった感じがします。
一方、中国との関係がこの10数年うまくいかなかったのも、台湾の00年代での発展を非常に狭めました。李登輝時代の初期はまだ蒋経国時代の名残りがあって、中国との会話をしていましたが、そのあと1999年李登輝の「両国論」で破綻して。台湾独立を挙げてた陳水扁時代ではもう完全に断絶してしまいました。

5:45から、李登輝がDeutsche Welleのインタビューでの
「特殊な国と国の関係」発言が聞けます(中国語)
そのあとは当時のアメリカ大統領クリントンと、中華人民共和国主席江沢民のコメントが続く。

1998年から2008年の十年、それがちょうど90年代後半から00年代に入って、中国がすさまじい発展を見せていた時期ですね。しかし中台関係が完全に冷凍状態ですから、中国への投資は人員と技術と資金の流失につながる売国行為だと、法的に制限や禁止されてました。その十年間の対中国貿易要衝の座も、このような政治の原因で、あっさり香港に渡してしまい、中国が急成長するこの十年間で、台湾はもっと金を儲けてもいいはずだったのに、儲からなかった。香港はウハウハでしたけどね。
これもね、台湾の企業、特に80年代から推進して成果の見せたハイテク産業に、非常に圧力がかかる。なぜなら台湾のハイテク産業の実態は、やはり人力密集の加工業が大半ですから、コンピューター部品をより多く作るのは、より大きい工場でたくさんマシンを揃えていっぱい操作員が必要で……そうそう、まさに先ほど渡辺さんの仰った、土地面積に比例して、価値に置き換わる資本主義の体現ですよ、体現しざるをえないのですよ、それが台湾のハイテク企業の正体なんです。高付加とは言え、人力密集ということが変わらない。
比較的に人件費のずっと安い中国の人力が使えない、商品の運搬や、人員の移動は香港経由でやらなくてはならないということは、イコール競争力を大きく削ぐことなのです。なんだかアメリカに純粋培養された資本主義が、ここ十年は強引に社会主義に切り替えようとも見えますね。慣れないことして傷つくだけなのに。
渡辺: うーん。皮肉な話ですね。
リン: そう皮肉なことに、中台関係が悪化した前の90年代前半で中国に飛び出して、製造ラインをほとんど中国に置いてある企業、EMS(電子機器の受託生産)が中心事業の鴻海精密(ブライド名は「フォックスコンFOXCONN」)は、中国の発展の波に乗り急成長し、世界最大のEMS企業になりえたのです。実体は九割も中国にあるのに、本社は台湾に置いてるから、「台湾最大の事業クループ」と政府の役人も嬉々と語るのですよ。あのようなバカな中国への投資制限をしなければ、このような事業グループが、もっと台湾から出てもおかしくないと思いますけど。
ベアボン R11S4MI-BA

ベアボン R11S4MI-BA

こういうのとかいろいろ作ってます。
日本での評価とかはwikipediaのフォックスコンにでもご参照

でもね、金儲けの絶好のチャンスを、指をくわえて側で見るなんてできないのが台湾人ですよ。法的に認めないのならこっそりと投資する、とかやり出してね。失敗した人はもちろんいるが、儲かってた人もたくさんいます。しかしこれは法的には許さない投資なので、儲かった金は台湾に持って帰ってこれないのです。中国の経済成長に影響されて香港とシンガポールも景気がよく、金融業も発達してね、台湾では置けないお金は、香港やシンガポールに持っていって、世界中に隠してしまうのです。そんな透明人間、ではなく、透明になってしまった個人資産が、およそ3000億から6000億ドルだと推測されてます。今度の金融危機でだいぶ減ってしまったと思いますけど。ちなみに幸いうちはそんな投資の仕方はしてませんので、あまりダメージ受けてません(笑)
ただ台湾自体の資産は、台湾人の個人資産ほど資金がグローバル化していなかったのです。政府の財務体質も良くないし。それで、台湾が今度の金融危機の中でもかろうじて生き残れたのですね。しかし十分にグローバル化していなくても、やはり世界経済の構造の中には組み込まれています。頼りに頼ってた外資が、台湾の株式市場から現金をガンガン回収して株は暴落させたとか、メインはアメリカと日本の外注で受注品を生産する産業構造になってるから、需要の急減でそれら注文が急にピタッと止まって、金が入ってこないのに、給料をもらう人手だけが大量に余り、やむを得ずリストラをガンガン進んでいて、もしくは無給休暇の強制とか。根本的な原因は違うけど、まあ見た目はアメリカと一緒ですね。それでアメリカの解決策を持ってこれば、台湾の問題も解決できると勘違いする人も出てきます。困ったものです。

2009年5月1日・労働者の日のニュース映像。
「反失業」という訴求で失業者中心のデモが行なわれ、
警察と衝突、流血に発展。

そこで振り向くと、制限され禁止されたのもかかわらず、この十年間で中国とできた癒着が、もしかしてこの吹き荒れる金融危機の波に乗り越えられる、手元にある唯一の切り札カードかもしれないんですが。
渡辺: それでいいのかどうか、ちょっと考えてしまいますけどね。
リン: ね。結局、台湾工業の発展は、厳密に言うと実は加工業止まりだったということを、まずきちんと認識する必要があるのです。国内のマーケットが狭いため、自ら需要を作り出すことが困難で、国外の需要がなければ、注文がなければ金も入ってこない、生きていけないのです。
90年代半ばまでには、まだ経済の実力が厚く、中国をはじめた諸外国と対等に対峙したり、交渉するパワーがありましたけど、そこで国内の需要が無ければ、外国で主導権を握って作り出させることも可能だった。でもこの空回りした十年で、諸外国と駆け引きできるモノはもうなかった。ここで金融危機がきて、残された道はできるだけに諸外国の期待、そして中国の期待にちゃんと対応するしかないと思いますが。
では、何と期待されているかというと、80年代後半、民間レベルで中国との交流再開した時からそうなってたと思いますが、台湾は世界から中国進出の橋、代理人か貿易の中継点として期待されてるんです。日本からは、まあ、いい友達になってくれとかも含めて期待してるのではと思いますが。
なんというか、「中国では未開の市場ひろびろ!」という感覚で世界の国々は中国進出に踏み出そうとしてるが、中国人はやはり謎に包まれていて……昔々「ノックスの十戒」では「中国人は登場させてはならない」とかあるじゃないんですか、中国人は超能力が使えるのです(笑)まあそれは冗談だとしても、信頼に対する中国人の感覚、中国内部の法律や行政などは、諸外国から見るといまだにいろいろと不透明で、不確定性たっぷりですしね。
それと比べて、台湾社会は開放していて法律も透明、台湾会社の管理と生産技術のレベルも、今まで数十年間の取引で信頼できる。そして何より、見た目は中国人と変わらない。んで気付けばアレ同じ中国語をしゃべっているのではないか、と。それはそれは頼めるんだったら、頼みたくなるのでしょう。
なのでこの立場をうまく活用していけば、期待された通りに諸外国の中国との橋というか、弁として成り立っていけたら、「生き残れるチャンス大」、だけではなく、再び主導権を握られることもあるかもしれないんです。
それは今からでも遅いぐらい、ちゃんと貿易中枢としてのハードとソフトなどのインフラ整備、そして中国との関係を今までの遅れを取り戻すようにきちんとつなぎ直す必要があるのです。今からだと、確かに90年代より立場的には不利になってますが、今まで鎖国状態の中国からにして、生産者として世界のマーケットとつないでる台湾はやはり貴重。また今は「中国のお金持ちの消費力がすごい」とか言ってますが、国としての中国から国としての台湾を見ると、台湾はまだまだずっと金持ちなのです。台湾の資金も期待してるから、政治の関係がこう着のままでも、経済的にはWin-Winの関係は、台湾人の手に資金がある限り、まだまだ築ける余地があります。
たださっき「地図から消えてしまう可能性」と言ったのは、この立ち回りをうまくやらなければ、主導権やら主権うんぬんをぬかしてるうちに、そのまま中国の一部になってしまいます。香港を見ると、すごい危機感を抱いてしまうんです。
今までは、台湾は地理においても世界経済においても、いい位置にいることによってすごく得してきたんですよね。でも、これからの情報伝達がネット経由で居場所に関係なく瞬時にできるようになってしまいますと、この十年で中継点としての地位をちゃんと樹立できたなかった台湾は、実に危うくなっているのです。日本や韓国みたいに、自分の取って代われない技術をちゃんと持っていればまだいいけど、持っていないので、すぐこう取って代われるようなところだと、いつまでもポジションが変えられない。自分の運命を、決められずに変えられない。
台湾では選挙の時、よく「台湾の運命はあなたの一票で決める」のようなキャッチが聞こえますが、皮肉なことに、そのようなフレーズを繰り返しているうちに、台湾の運命はすでに台湾自身が決められるものではなくなったと思います。決められた役をちゃんと演じられるかどうかで、世界地図でこれからどう存在していくのを決まってしまいます。役立たない意地を張ってる場合ではないのです。
本文とあまり関係ないけど、2008年台湾総統選のCM集です。
国民党・民進党両陣営の分とも入ってます。

少し話しが変わりますが、自分は日本に期待していますよ。アジアでは、中国以外でまだ自分で自分の運命を決められるのが、たぶん日本だけだと思いますね。去年の年末から韓国はもうぼろぼろですし。だから今、日本語でこうして喋っているわけです。そうでなければ今年からはきっと英語をちゃんと勉強しますよ。
個人的には英語の、アメリカ中心の世界に飛び込みたいとは、思わないんですからね。だけど台湾に立っている以上は、アジアか欧米か、どちらかにちゃんと文化的につながりを持っていかないと、消えちゃうと思います。今は、日本に賭けてるところかな、私。
渡辺: 第二次世界大戦後に構築された世界経済が今がらがらと崩れはじめているわけです。もちろんそこで中心となってきたアメリカの凋落がひどいわけですが、完成された資本主義をいきなり持ち込んでスタートした台湾は、もっと強い衝撃を受けると同時に、実は柔軟さ、変わり身の早さも発揮するのではと期待してるわけです。新しいシステムはアメリカによって提示されるのか、それとも勢いのある中国やインドあたりを中心に再構築されていくのか。台湾からなら、その答えがいち早く見えて、いち早く対応できるのではないかと。
リン: 見えなかったら消えるかもね(笑)今までの台湾は、もう徹底的にアメリカ式の資本主義じゃないですか。しかしアメリカの資本主義の影響を受けながら、現在は同時に中国のネットワークには入ってるということですね。これは珍しい現象であり、貴重なことなんですね。
渡辺: 台湾は戦後、国連からは抜けてしまいましたが世界の金融市場には積極的に入ってきた。そしてがんがん工場を作っていったわけです。資本主義の王道を突き進んだというわけです。その資本主義の崩壊とともに、だから、産業構造を変えていかざるをえないわけですよね。
それにあたっての強みは、アメリカとアジア両方が、古い世代と新しい世代両方が、そして共産主義と資本主義の両方が、さらには経済と文化の両方が見えるところだと。思います。
リン: でもシステムが崩壊するとは言え、既存のシステム自体が使えないと思わないんですね。ただ業種が分かれていくんですね、適してる業種と適しない業種と。適しない業種だったらどうする、っていうのは今の課題です。しかも今見えるのは、適しない業種だと、また選択肢が固まってないですけど、たぶんまだいくつかあるのですよ。同じ方向に向いても、たぶんやり方が全く違ういくつか存在しているのでしょう。
そこをちゃんと認識できないと、すべて何もかもまだ昔のような、とりあえず会社を大きくしましょうというだけの目的だったら、台湾ではもうこれ以上大きくなることができないから、みんな廃業、もしくは店を畳む、店を畳んで中国へ行ってみて会社を起こして大きくできるかどうかを試して行ってはい失敗しましたとかの結果にしかならないんですね。


【つづく】


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第4回:台湾から見る世界の今(上)

渡辺: 折角ですので台湾の現状と近未来についてお聞きしておきたいのですが。これまでのことを振り返ると、台湾には、中国だった時代と、日本だった時代があるわけですよね。そして20世紀の中頃、中国で革命が起きた際に、政府主流派の人々が南京から逃げ延びてきて、とりあえずのつもりで政府を樹立して統治を開始したところが、とりあえずのままで現代に至っています。その中途半端な状況の中で、製造業を基軸に20世紀後半、資本主義世界の中で大きな成功を収めたわけです。
そして今後、台湾はどうなっていくのでしょうか。
リン: 面白いですね。地図から消えてしまう可能性も含めて。
渡辺: 思いこみかもしれないのですが、経済と文化の両方をわかっているリンさんが、アジアと欧米、共産主義と資本主義、そういった二つの世界の境界に常に居続けた台湾のような場所からこそ見えるようなことがあるのではと。
リン: 恐縮です。では、考えを整理することもかねて、まず現状に至るまでの流れをおさらいしたいと思います……そうですね、20世紀後半での台湾の経済的な成功は、個人的には日本統治時代、および国民政府時代の後期に実行したインフラの整備が基盤になり、その上に築きあげたものだと思います。
1945年以前の日本統治時代、日本は台湾について農業を主要産業としていたため、水利事業にすごく力を入れていました。八田与一が設計して建造した、嘉南平原の耕地面積を30倍も増やした嘉南大圳はたぶん一番有名ですね。
嘉南平原はもともと、降水量が少ないから何も育てられなかったのに、それを人間の力で変えてしまったのです。八田与一は今でも、台南当地の人に評価され、慕われています。
日台の架け橋・百年ダムを造った男

日台の架け橋・百年ダムを造った男

それ以外にも鉄道と港と学校の建設、公共衛生の改善、義務教育の実施など、台湾の産業近代化と生活水準の向上に貢献したインフラ整備、教育と衛生システムの設計をしました。それが戦時中だけではなく、戦後の経済発展にも大きく影響しましたね。特に鉄道は、80年代まで台湾の動脈でしたからね、その効果は90年近く稼動していたわけですよ。
時には「台湾の人々をより統治しやすく、台湾の資源をより簡単に搾取するためにやったのだ」とか「大したことない、評価する必要がない」とか言ってる人もいますけど、私は彼らに同じ条件を与えて『シムシティ』を50年プレイしてほしいですね。ここまでやれるならやってみろ、と。
シムシティDS2~古代から未来へ続くまち~

シムシティDS2~古代から未来へ続くまち~

渡辺: 政治的なこと、歴史的なことは常に主観的にしか語れないのでこういう場でその時代の話をすることは難しいと思っていたのですが、避けずに話して頂いてありがたいです。
リン: 正直、政治の差別や格差を言い出したらキリがないので、そんなアホなことばかりこだわってると、歴史から何も見出せないと思いますが。これは同じく国民政府時代に実行した建設に当てはめられますけど。
渡辺: 第二次大戦後ですね。
リン: 国民政府時代というのは、1949年台湾に転移してきた中華民国政権のことで、その「とりあえずの政府」ね。
軍隊と政権を台湾に連れてきた蒋介石ですが、台湾独立運動家の活動や小林よしのりの『台湾論』で、日本では「台湾を暴力で支配した悪玉」みたいな認識になってる人は多いようですけど。まあ確かに蒋介石ファシズムの崇拝者で、台湾で政権を維持するため、「白色恐怖」などの弾圧行動で反対勢力をつぶし、無関係の人々もかなり処刑していたのですから、そういう評価がされてもしょうがないんです。でも時代は時代で、ファシズムも国を救う術として信じられてた時代もある、と思いますが。
新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論

台湾版は発売当時買い占められて配られたり焼かれたりしてかなり物騒な一冊。
海外の台湾独立運動家にすごく影響されて、主観的な主張も強いですが、
実に綿密な取材をもとに、台湾に好意を持て描いたいい本だと思います(リン)

朝鮮戦争は米ソ大戦を引き起こし、中国にも攻撃が仕掛けられる、その後に大陸に戻れる。そう思っていたら、スターリンが亡くなって朝鮮戦争があっさり終わってしまった。経済も政治もできるだけアメリカに媚びて、選挙を推進したり農地改革をやったりとか、台湾が資本主義を徹していたのもそのためだと思いますが、アメリカに援助と国連も含めた外交的な支持を求めようとしても、1971年に国連に追放され、しまいに1978年にアメリカからも断交された。
蒋介石は、いったん中国を統一したこともあった人ですが、晩年は台湾という小さな島に閉じ込められ、この小さな島で中国のために中国に戻るためにやってきたすべてのことが、ことごとく期待通りの結果にはならず、惨めと言ったら本当に惨めだと思いますよ。業というかカルマというか、人の気持ちを考えずにしてきたら、そういった見えないものは、やはりはね返ってくるのですね。
蒋介石は亡くなるまで「台湾を渡り板にして中国に戻る」ことをあきらめなかった。台湾を仮に身を置く腰掛けとしてしか見ていないから、政治プロパガンダと、軍事目的以外の公共建設についてはそんなに力を入れてなくて、むしろ統治時代の日本の方が根を下ろすつもりでやっていたように見えます。それは日本は台湾を渡り板ではなく、ずっと確保したい食糧倉庫として見てましたからね。
ただ蒋介石が亡くなり、その息子の蒋経国が総統になって、いろいろと変わりました。変わらざるをえなかったのですが。
蒋介石時代の農地改革で良い影響もあるが、結局日本統治時代で築き上げてきた農業中心の経済をズタズタにしてしまい、資本は工業の方に流れ、外資も積極的に呼び込み、少しは発展に結びつきましたがやはり軽工業にとどまり、70年代に入っては国連追放など一連の外交の失敗など、蒋経国蒋介石時代の後期ですでに内閣に身を置いてるから、権力のバトンが渡される前にやっかいな現実に直面してましたね。
70年代という、オイルショックもあった世界でも変動の多い時期に、外交の失敗で国際に孤立されているから、経済をなんとかしないと自らの身が守れない、アメリカに媚びるよりアメリカに必要とされるようになる、などと踏んだのか、軽工業を重工業に切り替えるためのインフラ整備、「十大建設」を内閣時代に企画実行しはじめ、80年代に入る前に成し遂げたのです。日本のためや中国のためではなく、台湾の将来のためのその的確な公共投資は、70年代後半の台湾の経済を活性化しました。
空港や、高速道路、原子力発電施設などを建設し、オイルショックを鑑みて石油化学工業を推進して。税金の無駄遣いの多い今思うと、その時には実に先読みをして考えぬいた、実りの多い経済政策を実行していましたよ。
またアメリカの80年代でユーフォリアを経て、低迷が見えてしまってたんじゃないんですか。資金は投資先を探してアジアへ来て、最優先の選択はやはり日本ですが、政治的に孤立されている台湾も候補に入れられたのは、やはり十大建設があったからと思うのです。日本へ入った資金が、そのあとバブル景気になったんですが、台湾に入った資金は、製造業、ハイテク産業への発展につながることができたのです。
ちなみにハイテク産業への方向転換も、この時期で決められ実行されたのです。私は1976年生まれなので、成長期はちょうどこの時期と重なってましてね。父が30代の頃から、その当時「今すぐには回収しないが将来のためにやらなければ」というハイテク産業に賭けて身を粉にして働いて、10数年後ちゃんと結果を生んだ人なので、その「無から有」の過程を、より間近に見ることができました。執行時にはかなり強引なところもあったけど、方向性がとても明確で、台湾を繁栄させるような軌道に乗せたのです。
蒋経国蒋介石時代、政治的な弾圧行動を実行した人でもありますので、その弾圧行動に耐えかねて、外国へ脱出した台湾独立運動家からすると、彼も悪の一味なんですけど。日本もそうなってる感じがしますね。この十大建設を「見栄っ張りな蒋式建設」とか、運が良かったとか、計画性経済だから役人と財閥がこれらの公共投資で不正にえらく儲けてたとか言う声も絶えませんが、80年代初頭に空港と高速道路を揃えて、そしてそのあとの十年間で、関連の追加整備がちゃんとできていたからこそ、90年代の台湾の厚い経済基礎が作れて、その後の李登輝時代で李登輝が公共施設の建設を省みずに民主化などの政治改革、悪く言えば国民党内の粛清に打ち込められた、と思います。
また蒋経国時代で、戒厳令の解除と、中国との交流を民間レベルで再開させたなど政策も実施されました。台湾では近年蒋経国を再評価する声も高まっていて、彼のことを慕って懐かしんでいる。もっとも親しまれて、もっとも懐かしまれる総統だとも言われてます。原因はやはり、十大建設がもたらした富と進歩だと思いますよ。
ただまあ、その経済効果は、陳水扁時代になってさすがに消耗しつくされましたが。


【つづく】


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第3回:進化する個人、そして社会

リン: 「ひらきこもり」とは渡辺さんは本の中で「部屋にひきこもりながら、世界とつながり、自己実現していく生き方」というふうに説明されていますが、その独特のライフスタイルが可能になったのは、インターネットを軸とするデジタルメディアの普及があるわけですね。
渡辺: そうです。過去の「職人芸」とか「おたく」とは、その部分が特に違うところです。「ひきこもり」がデジタルの力によって進化していく形態、と言っても良いと思います。
本来、職人的なこだわりは経済効率や採算性を計ると許されないわけです。商品の価格にとらわれずに手間と時間をかけてしまう美学ですからね。ところが、そこにデジタルの魔法が入ると、途端に報われるものになる。個人でとことんこだわって仕上げたものを、一瞬の後には、同じクオリティーで、全世界に拡散させることができるわけですから。
そして、この「デジタルの魔力」が、個人から始まって社会を、世界を救うという考え方なんですね。
リン: そのあたり、ちょっと詳しく説明してもらえますか。
渡辺: 巨視的に見ると、今もっと大事なのは、20世紀型の資本主義がもう無効になってしまっているということです。
現在に至る金融市場が成り立ったその源流をたどっていくと、もう二百年以上も前にイギリスから起こった産業革命に行き着くんです。植民地政策によって原材料は世界から集まる、そして売り先も世界にある、という状況の中で製造機械が発明される。と、いかに製品を大量に生産して売りさばくか、という考え方が生まれるわけです。できるだけ早くできるだけ広い土地を確保して大きな工場をぶっ建てて、できるだけ大勢の労働者を集めて大量生産を始めたら、それで市場を圧倒できる、勝者になれるというわけです。そのための元手となる金を広く世間から集めよう、というのが株式市場の原理なんですね。
つまり、土地が、その面積に比例して価値に置き換わったのが資本主義なわけです。土地が、製品を製造するための工場になる場所だからです。倍広ければ、製造ラインは倍に増やせます。
しかし、デジタルの時代になると、その考え方は一気に無効になります。バーチャル空間の中では土地の広さやビルの高さに全く価値がありません。その位置にも意味はなくなるんですね。
コンピュータ・ネットワークの中に3DのCG(コンピュータ・グラフィックス)で自分の部屋を作るとします。それは四畳半にしてもいいし、100坪にしてもいい。あるいは台湾島くらいの大きさにしてしまってもいい。それらはただの数値の問題であり、価値にはならないんです。
そしてそれを東京のサーバーに置こうがニューギニアのサーバーに置こうが、本人にとっても、訪れる人にとっても全然関係ないことなんです。
ITの本質的な凄味とは、本当はそういうところにあると言えます。大きな組織やビルディングがなくても、各種情報機器やネットワークを使えば、自宅で、個人でどんどん仕事ができてしまう。巨大なシステムの必要性が希薄になるわけです。逆に言うと、巨大であることの優位性は、なくなっていきます。
生産だけではなく流通においても、メジャー企業の強みはなくなります。
例えばお酒を買おうと思い立ったとき、どうするか。これまで最良と思われてきた方法は、できるだけ有名な店に足を運んで並んでいるものの中から選ぶ、という形でした。
これからは、ネットにアクセスして、その時点で一番安くて早くて確かなものを届けてくれるところで買うということになっていくわけです。その場合、大きなデパートのサイトと、個人が運営している通販サイトが同等の立場に並びます。
お酒の銘柄の選択においても、同じことが言える。すでに名の知れ渡ったものの中から選ぶだけでなく、日々ネット上に書き込まれていく情報を読んで、自分の好みに合ったものを探すようになります。全く無名の、例えば小さな蔵元の少量生産の酒でも、自分にはこれが一番! というものを見つけて、買うようになっていくはずです。巨大企業がむさぼっていた利権が、どんどん消えていくわけです。
同様に、土地を持ってるから安心だとか、一流大学を出てるから、あるいは一流企業に勤めてるから安泰、なんてこともなくなっていきます。出自や所属に関係なく、その時点で一番ビビッドな奴がいきなりトップに立つことになります。とすると、他人に指示されて勉強したり鍛錬したりすることより、自分一人で、自分に向いたジャンルを見つけることがまず、とても大切なことになってくるんです。
リン: 大企業がどんどん倒れていくという状況が、ひどい不景気のせいの出来事として世界で報道されているわけですが。
渡辺: サブプライムショックは、資本主義の疲労骨折です。それ以降の世界恐慌は、単に景気の変動では説明しきれないものです。
100年に一度の不景気なんて言われていますが、そんな生半可なことではないんですね。人類の経済が完全に生まれ変わること以外に、方法はないんですよ。
じゃあ、どう、生まれ変われるかということになるわけですが、企業の存続のためにお金を集めましょうとか、改革のためにお金を使いましょうとか、いや世間にお金をばらまきましょうとか、そういう考え方自体がナンセンスなんです。答えはその次元には、ない。
大事なのは、個人の力、ひとりひとりの発想、アイデアだと思っています。そういうものを、大きな経済と直結する仕組みがまず、必要な気がしますね。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「台湾から見る世界の今」は
2009年5月18日更新予定です
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第2回:経済現象か、文化現象か

渡辺: リンさんは、お父上の出資を受けて出版社(全力出版)を経営しているわけですよね。ビジネスのバックグラウンドのもとで、コンテンツプロデュースを行っている。リンさんの立ち位置がすごく面白いと思うのは、そこから経済と文化の両方が良く見えているということです。
リン: あ、そうですか。そうか、気付きませんでした。
渡辺: 「おたく」の本質を理解するには、そういうスタンスが大事なんです。なぜなら、「おたく」という言葉は今や文化用語でもあり、経済用語でもあるからです。
お話を伺っていると、つまり台湾では、その経済的側面の方が先に注目されているということなのではないでしょうか。「おたく経済」としてね。あるタイプの若年層の間でどういう風にお金が使われているか。どういう商品がどういう価値をもって流通しているか、という観察のされ方ですね。
リン: 鋭いですね。台湾社会では、政府も業界も学会も、アニメやマンガのようなコンテンツビジネスに対する視線は基本的にほとんどその経済効果に集中していますね。
マーケット規模を算出するのにすごくすごく熱心なんですが、そのような規模になりえた理由についてや、その規模を維持する方法については、誤解に基づいた推測や想像ばかり。「日本はマンガとアニメの専門学校がいっぱいで、人材教育に力を入れてるから発展しているのだ」とか、「日本政府がマンガ産業を援助して奨励しているからだ」とか、麻生太郎が総理になってから、そのやっかいな思い込みがもっと激しくなったのですが。
D
本題とは全く関係ありませんが、
ただローゼン閣下の関連ネタとしてすばらしかったので張りたいだけです(リン)
特にATフィールドがいい…と元ネタはこちら

そんなちゃんとした考察もせずに得た結論を元に、的外れな政策をがんがん推進していたら、ただの税金の無駄遣いになるのに。近頃はまた、コンテンツ産業を「低コスト高リターン」という理由で重点推進産業にしているが、どう見てもとれないタヌキの皮算用に一所懸命、哀れなもんです。
それで現在「宅経済」やら「おたく経済」やらで騒ぎますが、見つめているのがやはり金と品物の流れで、まあそれも非常に重要だと思いますが。しかし、大事な何かが欠落しているため、的を射れずに空回りして、せっかくぼんやりと見え始めた新しい概念が、ただキャッチフレーズのみに留まりチープに消費されてゆくのです。
渡辺: 本来「おたく」という言葉は、特異な文化現象として捉えるところから始めないと正しい分析はできないわけです。
リン: その通りですね。そうだ、そもそも日本で「おたく」という言葉が生まれた頃のことなど、記憶にありましたら教えてください。
渡辺: もともと日本での「おたく」この言葉は、80年代サブカル系の雑誌メディア界で頭角を現した大塚英志さんとか中森明夫さんといった若手評論家の方々が使い始めたことがマスコミでは最初だったわけですが、その数年前からアニメやマンガのマニアの現場では普通に聞かれる言葉だったんです。
ここで、大きな誤解を解いておきたいんですが、おたくというのは自「宅」にひきこもって愉しむタイプの人、という意味でできた言葉ではないんです。勘違いしている人が多いんですが。
リン: 台湾だけでなく、日本でも今だにそう思っている人が多いですよね。
渡辺: だから、心療用語としての「ひきこもり」との混同が起きるわけです。おたくの語源は「家」、ではなくて、二人称なんです。つまり、他人に対して「あなたは」とか「君」ではなく「おたく」と呼びかける人達のことを「おたく族」と呼ぶようになったんです。
アニメの上映会とか同人マンガ誌の即売会とか、あるいは特撮映画のファンの集まりとか、そういうところで、初対面でも、同じものごとを好きだということがわかっている人々と出会うことになるわけです。その微妙な距離感というか不思議な親近感に基づいてお互いのことを「あなたは」や「キミは」ではなく「おたくさあ」なんて呼び合っている状況が当時、外側の人達からはとても特異に見えたみたいなんです。なんか変な、失礼な奴らだなあなんて。けれど、今ならその雰囲気、わかるでしょう。
リン: ええ、よくわかりますね。
渡辺: コミュニケーションができない奴ら、みたいに思われていたかもしれませんが、実はそこに新しいタイプのコミュニケーションがあったわけですね。「おたく」同士で呼び合う人々の間に、非常にマニアックな小さな世界のことを一緒に深く深く掘り下げてるんだという共感意識があったということです。
リン: それは、『ひらきこもりのすすめ』に書かれていたような、日本古来の職人世界的なこだわりと似たものかもしれません。
渡辺: そうです。これは日本でオタク文化の勢い、具体的に言うとマンガやアニメやゲームといった作り込みが問われるコンテンツ産業が育ったことの背景に、日本古来の、ものづくりの美学というものがあるんです。
そもそも江戸時代は鎖国していて、つまり国自体が「ひきこもり」だったわけです。そこで独特な文化が熟成していたんです。趣味的な非常に狭い世界のものをですね、お金儲けとか一般世間の評価ではなく、自分自身の趣味志向とプライドのために、一生かけて掘り起こすような。そういう行動によって、茶器や食器が芸術品になったり、わいせつ図画としての版画が美術品になったりということが起きたのではないか、と僕は考えています。大量生産を旨とする世界では無視されてしまうような細部までのこだわりによって製品の質を上げていくということです。
それは生産性や商業性ではなく、趣味的な美学を基軸としているからこそありえたクオリティー。そこに「おたく」の原点があるわけです。
だから本来それは資本主義的な経済の文脈だけでは語れないものなんです。文化としても、捉えなければならない。
日本でもね、「オタク経済」「萌え経済」みたいなものが一時期盛んに語られ、そのマーケットを専門家が分析しようとしていたことがありました。なんとか総研の方や、かんとかアナリストの方に、僕なんかも話を聞かれることがあったんですけど、そういう人達は、アニメやマンガの客層のことを、「おかしなことにじゃんじゃん金を使ってくれる奇特な人々」というふうにしか見ないんです。いや、はっきり言うと、アニメも見ないゲームも遊ばないようなスーツ姿のエリート・サラリーマンは、おたく、という人々に対して蔑視、というほどではないんですが、ただの新しいカモとしか見てないということにショックを受けたわけです。
オタク市場の研究

オタク市場の研究

野村総合研究所台湾にもリサーチしにきました
……やる気だというならあると思いますが……

リン: 結局どこでも一緒ですか……
渡辺: ここは強く言いたいことですが、制作者だけではなく、その、お金を払っている側、消費者の側に創作性があるところが、おたく経済の面白いところなんですね。
ひらきこもり」って言葉を提示したのは、「ひきこもり」っていう言葉と「おたく」っていう言葉の曖昧な関係を、経済、文化、そして社会の経済活動、個人の創作活動、両側から捉えることによって明確にしていきたいという考えも、あったからなんです。だから、リンさんのようにビジネスマンでありクリエーターでもあって、さらに両方の視点からものごとを見ることができる人に、期待しているわけです。


【つづく】


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対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「進化する個人、そして社会」は
2009年5月14日更新予定です
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第1回:「おたく」と「宅」は同義語ではない?

リン: 林依俐(りん・いり)です。台湾の編集者で、全力出版の主宰でもあります。よろしくお願いします。
渡辺: 渡辺浩弐(わたなべ・こうじ)です。日本で小説家をやっています、よろしくお願いします。
リン: 今回は、渡辺さんがずっと提唱されている「ひらきこもり」という生き方について、お話を聞こうと思っています。なぜいまこれを取り上げようと考えたか、その理由を、先に話します。
2008年の十月に世界金融危機が発生してから今まで、引き金を引いたアメリカはもちろん、ヨーロッパでも影響され、失業率の上昇が目立ちます。日本でも経済的に大きな打撃を受け、ホンダもソニーもみんな予想業績を下方修正、リストラが止まらず内定もはじかれる、大変なことになっていますね。台湾でも、若い人のみならず、失業者の急増や無給休暇で、社会問題になっています。
ところがその一方で、マスコミの煽りもあるんですが、にわかに注目を集めているのが「宅経済」というキー・ワードです。宅・経済、よく「オタク経済」と訳され解釈されますが、実際の使われ方をみると、そうとも言えません。
渡辺: 「宅」とは、おたく、OTAKUのことですか。
リン: そうですね。間違いなく日本の「おたく」が語源です。でも台湾での「御宅」は使われはじめて約15年、「宅」になった時には意味が日本とかなり違うものに変貌しています。
渡辺: ああ、「御」が取れたんですね。
リン: 80年代中期以後、台湾社会がより開放的になりまして、日本の本とビデオ、またテレビゲームも含め、前よりずっと気軽に手に入れられるようになりました。それが90年代初期になってさらに加速し、ほぼタイムラグなしで…あっても半年ぐらい程度で、たとえローカライズされていなくても、日本からの輸入盤で手に入れる形ですが。
このような土壌に、ディープなマンガ好き、アニメ好き、ゲーム好きが育てられました。今までも、70年代の海賊版ローカライズのテレビ放映を見てマンガとアニメが好きになった層がいますが、この80年代中期に十代を送った世代はまた違っていて、もっと手軽にたくさんの作品が手に入り享受でき、より早くマンガを読みたいやゲームをもっとスムーズにプレイしたいがために、日本語を勉強したりしていました。それで前の世代のマニアより、むしろ当時の、正確にいうと80年代の日本のマニアと似たような体質や生態に持つようになります。
90年代初期は日本のOVAの全盛期で、新作が次々と作られ、内容の幅も広く、発売形態も多様でした。たとえば『銀河英雄伝説』のような毎週一本発売の荒業さえありましたね。その『銀英伝』も含めたアニメも、ほとんど海賊版ですが、少々待てればきっとどっかで売られていました。その中、だいたい94年前後ですが、日本では91年に発売された『1982 おたくのビデオ』と『1985 続・おたくのビデオ』が一本の海賊版ビデオになり、大学のマンガやアニメのサークルを中心ですごく話題になって注目を集めました。ちょうどその時も学内ネットのBBSが普及した時期で、「御宅族」、つまり「おたく」という言葉が一気に広まりました。
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渡辺: 『おたくのビデオ』が海外でそんな影響力を及ぼしていたとは。
リン: その原因は大きく二つありまして、一つは作品の中にあるルポルタージュ「おたくの肖像」です。アニメの途中で差し込まれる実写の映像で、インタビュー交えて当時の日本で「おたく」と呼ばれた人の生態が紹介されていますね。しかもアニメに挟んだ実写を使う手法で非常に目新しく、「おたく」という外来の概念でも、当時ではまたそんなに理解されてないコスプレイヤー、マンガ・アニメファンとの重複が少ないがいるはいるサバイバルマニアとか、「日本ではこのような人をひっくるめて『おたく』と呼ぶのか」と、わかる、ような気分になります。
もう一つは、さきほど言及した80年代の日本のマニアと似たような体質を持つ人たちは、その頃ちょうど大学生や高校生になっていましたので、「自分もこの人たちと少し近いところがあるぞ」みたいな、共感を得つつ、同時に「おたく」は日本では蔑視されていることもなんとなく感じ取っていました。
かたや、『おたくのビデオ』シリーズの作りで、後半は「おたく」をかなり高く上げてるじゃないですか、『戦え!オタキング』の歌だってすごく盛り上がるものですし。それがまた当時、日本のサブカルとシンクロしていて台湾のマニアが抱えいた、周りに理解されないある種の劣等感から救ってくれました。その「『おたく』は日本で蔑視される」と理解してる人と同時に、「『おたく』は尊敬される、尊敬すべき存在だ」と理解する人もいます。時が流れ、いつしか後者の方が強くなっていました。まあ、これはアメリカでも同じ現象が起きてますね。
「おたく」という言葉は『おたくのビデオ』で「御宅族」として台湾に輸入され、その文化に共鳴しさらに深く踏み入れてる人もいれば、表層だけ書き取って嬉々と「御宅族」と自称する人はもっとたくさんいました。ただどっちにしても、またアニメ・マンガ・ゲームマニアの間、つまり仲間内でしか語れないものでした。
時は2005年、『電車男』の映画とそのあとのドラマも台湾で放映されて、その仲間内の言葉が急に大衆のモノになりました。これは日本でも同じと思いますが。特にテレビドラマ版の『電車男』は、伊藤淳史の演じる主人公の「おたく」を、大衆でもわかりやすいステレオタイプにして、それを台湾の視聴者にも届けたのです。
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日本ではドラマの大きな舞台である「アキバ」や主人公がよく口にする「萌え」に結びつくが、台湾の場合はその内気さといつもパソコンの前に粘ってる姿、そして「御宅族」の「宅」から、逆に「家」に連想し、「家から出だからない人」や「ずっと自宅にいる人」に結びつくことになりました。あの頃から、「おたく」だけでなく「ひきこもり」の意味も含まれるようになっています。しかも前の「御宅族」よりも、広く使われています。家にこもったままで出かけようとしない男は「宅男」と呼び、女は「宅女」ですね。
渡辺: 「宅男」のイメージはわかるのですが、「宅女」とは。腐女子みたいなことですか。
リン: かぶっているのもあるかもしれませんが、「宅女」はかならずしも腐女子ではないんですね。「腐女子」という言葉は、台湾ではちゃんと「BL好きの女」そのままの意味で、「腐女子」か「腐女」のような形でサブカル界隈に使われていて、まだまだマスコミの餌食になっていない言葉ですが。「宅男」も「宅女」も、基本的には両方とも「ヒッキー」の意味です。性別が違うだけで。
しかしそれだけでなく、最近はまさにその意味を拾って、景気の低迷した今この時に新しい顧客層としてマスコミで盛んに取り上げられるようになっていて、「宅経済」という言葉が出てきました。「家の中にこもって、外に出ない人たち」向けの経済、と。日本で取り上げられていた「萌え市場」とは似てるけれども、もっと包括性の高い言葉のようですね。こちらの実体はまだ計られてはいなくて、まあ、話題優先といったところなんです。
最初は「ヒッキー向けの経済」のように使われていましたが、次第に在宅アルバイトや内職もそう呼ばれるようになりました。「不景気なのに家にこもってる人向けの産業が儲かってる」から「リストラされて家で毛糸帽子を編んでブログで売って儲かった」までをすべて「宅経済」の一言で括り、「宅経済が盛り上がってる!」などとわけわからない使い方も。

芸能人の母親が滷味(煮込み料理の一種)を作ってネットで売り、
売れ行きがいいから「宅経済がすごい」との内容のニュース。
ちなみにどうでもいいかもしれませんが「滷味」についての豆知識はこちらにご参照。

まあ流行だから語感もいいので「宅経済」を繰り返してるだけだと思いますが。ただし、実際に調べてみると、例えば台湾のオンラインゲームビジネスは、経済が落ち込み始めた2008年11月、12月あたりから、確実に収益がぐっと上がっているんです。また、ネットショッピングやオンラインのオークションサイトなど、オンラインの経済活動は軒並み活発化しています。なので、そのめちゃくちゃな報道姿勢をさて置き、「宅経済」という言葉で表せる、表せるべき何かが、確かにあると思います。
そこで渡辺さんの著書『ひらきこもりのすすめ』のことを思い出して、読み直してみたら、びっくりしました。最初の版が出たのが2002年で、当時、私は人生啓発論と、創作論と、近未来ビジネス論を組み合わせた非常に面白いスタイルの本だと思いつつ読んでいたんですが。久しぶりに本を開いて読み直してみると、それ以降の5、6年のこと、特にネット世界のことをかなり的確に書いてるんですね。例えばGoogleYouTubeの台頭を予言しているような下りもありましたね。
渡辺: ありがとうございます。
リン: で、その後『ひらきこもりのすすめ2.0』として追補版が出たのが2007年。そこでは、今の金融危機に至る世界経済の動きが予言されているんですね。まだ、これから起きるはずのことについてもかなり鋭いことがたくさん書かれているので、それらについても、今日はたくさん話していただけたらと思うんですが。
ひらきこもりのすすめ2.0 (講談社BOX)

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渡辺: はい、もちろんです。
リン: 個人的に特にピンと来た部分は、資本主義が行き詰まり、アメリカが破綻していくことの予想です。私の父親は実業家なのですが、同じ頃から似たようなことを言ってたんですね。
渡辺: リンさんのお父上は台湾で有名な企業のリーダーであり、その発言も株式市場に大きな影響力を持っているそうですね。以前僕も訪台した折にお会いすることができたのですが、非常に気さくで、頭が柔らかい方という印象でした。
リン: その父が言っていることと同じことが日本の本に書いてあったので「うわあ、こっちもひとり同じことを言う人が!」と驚いたわけです。そこで私としては、この状況は予想できたことだった、としたら、これを突破することもシミュレーションできるはずだ、と。そこで「ひきこもり」や「おたく」といったキー・ワードが重要になるはずだ、と。ぜひこれを、もうちょっと一歩踏み込めればな、と思ったわけです。


【つづく】


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