第11回:教育はどう変わる(上)

渡辺: 組織の全てを憎んでいるわけではないんですが、大きくなって古くなって害になってしまった組織に、個人として、きちんと対峙しなくちゃとは思っていまして……あ、今言って気付きましたが、これって、村上春樹さんの発言のパクリですね(笑)。
この間、村上春樹さんがイスラエルで講演したじゃないですか。エルサレム賞の受賞記念で。我々はみな危うい殻を持った卵として、弱いけれどもかけがえのないひとつの魂として、大きな壁……「システム」に対峙しなくてはならない、というような発言です。

国籍や人種や宗教を越えて、我々はひとりひとり、人間である、と。そこが、よくわかるんですよ。割れやすい卵だからこそ強いんですよ、個人っていうものはね。
システムではなく、いつも自分の、そして他人の「個人」としての価値に目を向ける姿勢が、「ひらきこもり」だと思うんですよ。勝手にノーベル賞候補作家を引き合いに出してしまいますが。
リン: ……勝手に「村上春樹が僕の理論を賛成してる!」と。「アイツもスタンド使いだ!」という感じですね。
渡辺: すみません。
リン: 村上さんは本当に、日本人の中でも不思議な存在ですね、本当に。たぶんいま、日本作家でちゃんと世界の人に「向けて」モノを書いてる人と思いますね。
渡辺: 日本の文壇の仕組みを一切利用せずに、個人で、世界に自分の作品を出していった。
実務的にも彼は個人で世界と対峙してるわけです。それであの講演を聴いて、そうか、、これほどの覚悟で世界を見ている、小説を書いている人がいるのかって、鳥肌が立ったんです。
なんか、もう、僕の本なんか読まないで、村上さんの本読みなよと言いたくなった。
リン: いや、村上春樹ならすでにめちゃくちゃ読まれてますよ。中国ではベストセラー、台湾ではロングセラーです。
渡辺: そうでした。僕なんかが言わなくてもすでに読まれてますね。
リン: そうですね。すでに読まれてます。
渡辺: すみません。
リン: ヨシヨシ。でも自分の考えは少々違ってて、組織の存在は個人を磨くことができる部分だということを、私はやはり信じてますよ。昔は日本のアニメーション会社で制作進行やってましたから、いっそのこと寝てからもう目が覚めなければいいのにと思ったくらいしごかれて……でもそれである程度制作者としての実戦力を身につけられ、いい先輩、いいクリエーターとも会えたので、今となってはいい思い出でよかったと思います。一回組織に身を置いてもいいと思いますね。
会社は行かなくても、学校でもみんな……逆に言うと、「学校」という場所の存在は、もしかしたら出たら組織に属しない人のためのものかもしれないと思いますね。勉強の内容は、はっきり言ってどうでもいいわけですよ。60点が取れて卒業できれば、もう本当に適当にやっていいのが私のスタンスなんですよ……すみません。学生時代であまり勉強しなくてもちゃんと点数取れる人が言うと、なんか嫌味に聞こえるのでしょうけど。
まあそんなところがあるから、逆に見えてると思いますけどね。学校へ行くのは勉強よりも、クラスメートや先生と会話するためで、あとは部活に打ち込むためじゃないかと思いますね。それに成績がよければ……日本はどうなってるのかわからないんですが、台湾では成績さえよければ、よっぽど悪さをしない限り、いろんなことが許せる傾向がありますね。
渡辺: それは日本と違うところですよね。少なくとも、僕の世代では、そういうフェアな教育は、なかった。
まあそれは戦後のドタバタの中で、教育システムをいきなり変えなくてはならなかった当時の日本の特殊な事情だと思いますが、教師のレベルが極めて低かったんです。
歯車としての人材を大量生産するための教育システムが急に導入されて、ぎゅうぎゅう詰めで整列させられて、同じレベルのことを覚えなさい、先に行っちゃダメだ、遅れてもダメだ。と押しつけられたわけです。
成績のいいヤツも、ある程度以上成績よくなっちゃいけないんですよ。皆に合わさなきゃいけないんですよ。
リン: あー、それは日本人との付き合いでなんとなくわかりますね。
渡辺: 台湾とか韓国はたぶんそうじゃないんですよね。
リン: 学校によるのではないかなと思いますが……高校時代の同級生の中で、数学の成績がメチャクチャいい人がいるんですね。彼は数学の授業でいつも居眠りしてる、というか寝てる、パタンっと倒れて机に伏せてるのに、先生には怒られない…いや最初の一回か二回は怒られたんですけどね。で、彼の言いぶんというと「僕は夜遅くまで、数学の勉強を家でしてますから、実際成績にも反映しましたので、数学の授業ぐらい寝かせてください。ごめんなさい」みたいな感じで。そのあと先生は彼を起こすことはないね。
渡辺: それは正しいですね。
リン: そしてほかの人にとっての影響はどう?という危惧がやはり多少あるんですよ。なぜ彼だけが居眠りしていいのに私ができないって。その時は一言で「まあ、じゃ数学の成績を上げなさいよ」って。まあ、うちの学校は特殊かもしれませんが。日本人から見ると「なんだそれ」になちゃうかな。
でもまあ、一概とも言えませんが。自分は逆のにやられたことがありますけどね。それは大学の頃、日本語学科の日本語会話の授業ね。すべてのテスト成績は90点以上なのに、返ってきたのが59点なんですね。明らかに嫌がらせです。なぜこんな点数なのかと聞きにいったら、台湾人先生だけど日本語で返してきて「あなたは授業を聞いてないよね」と。こっちも日本語で返して「うん、授業も正直つまらないし、全部できるから聞かなくていいと思いますが」それで日本語で大喧嘩しまして、最後は本当に59のままになっちゃったんですね。日本語会話の授業で、日本語で先生と大喧嘩ができるのに59ですよ(笑)
渡辺: 覚えている漢字でも1000回書取りしなさい、とか。意味もなくね。うさぎ跳びは筋肉を鍛える効果は全くないのに、根性を鍛えるためにやりなさい、みたいなことね。
リン: なんだか日本では不思議に精神論が入っちゃうんですね。トレーニングのはずなのにトレーニングとして捉えてなくて。
渡辺: そういうことで権威を保たなくては教室が成り立たないぐらい、教師のレベルが低かったわけですね。僕は小学校、中学校と、尊敬できる人が教師の中には一人もいませんでした。今、人生を振り返って比較しても、下の下の下の人間の吹き溜まりでしたね、当時の、義務教育の現場は。
今はきっとずいぶん違っているとは思いますが、たとえ先生が優秀でも、学校のシステムにどうしても合わなくてスピンアウトしてしまう子供がたくさんいると聞きます。僕はそういう人たちには自分の経験から、大丈夫、と言いたいんです。
リン: 台湾では最近、逆に必要なトレーニングがちゃんとできない、のが問題になってると思いますが。保護者が先生を押して、先生は権威が保たない状態に追い込んでしまいますね。学校の古いシステムの中では、学生が悩んで迷い、教師が悩んで苦しんでるようにも見えますが。
渡辺: そこでね、同じ地域、同じ年齢で同じ場所に囲い込むやり方ではなくてですね、コンピュータとネットワークを活用して、一人一人に合わせた教育を提示していくシステムは、もう新しく作れると思います。
過渡期である今の子供達は可哀想なのですが、学校に行かなくなった人に、自分で勉強する方法、好きなことを追求する方法を、具体的に教えてあげるようなサポートシステムだけでも緊急に準備しなくては、と思います。
もちろん、学校は楽しい場所として、コミュニケーションの訓練をする場所として、残ってほしいですけどね。
リン: これについては私も同意見です、本当は学校をもうちょっと、コミュニケーションスキルを磨く場所、と捉えた方がいいじゃないのかと思うんですよ。
渡辺: そうそう。逆にもうそれだけでいい。そう思いますよ。


【つづく】


次回「教育はどう変わる(下)」は
2009年7月9日更新予定です

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