第13回:エリートコースの崩壊

リン: これについては、ちょっと聞きたいんですよ。台湾人が日本人に対するイメージですね、すごい組織を大事に重視して、会社に入ったら一生の保障がつく。これは台湾人からのイメージだけではなくて、確かに日本人もそういうイメージもあるんですね。
渡辺: そう、日本の若い人もそう思ってますよ。
リン: それについて語っていただきたいですね。
渡辺: 会社が人生を保証してくれるなんて、それは、ウソですね。
リン: ウソですか……
渡辺: 終身雇用制が崩壊していますからね。いい大学出て、一流企業入っても、今はいつクビになるか、わからない。つまりね、勉強さえしていれば大丈夫、って約束が反古になったってことです。
リン: あ、これ台湾もありますね。でも、これはどうしてこういう、イメージが形成されたのか?
渡辺: だからこれは戦後の資本主義の成り立ちが、政界と財界の癒着とともに、財閥系の大企業を中心に社会を作っていこう、ということから始まったからです。つまり、新しい才能や新しい組織には出てきてほしくない、企業に奴隷として入り無心に働いてくれる、歯車としての人材だけが大量に必要になった。そういう人間を送り出していくために、教育システムも構築されたということだと思うんですね。それが今、崩れちゃったということです。
上の世代の言うことを盲信してがんばってきた今の若者はかわいそうですよ。言われた通りにやってきたのに、一流大学出たのに、就職すらできないよ、なんて叫び声が今、ちまたに溢れています。
ネットカフェで暮らしている若いホームレスの多くは、学歴がとても高いんです。だからブルーカラーの仕事に就けない。田舎に帰ることもできない。
リン: では完全にまぼろしみたいな存在なんですか、都市伝説みたいな存在?一生安泰って。
渡辺: そうです。今はね。
リン: そうなってるんですけど。昔は一生安泰のケースがあるんですか?だいだいどういう時期ですか?
渡辺: 実はとても短いんです。1960年からのせいぜい30年間くらい。だから、新入社員として就職して、予定通りに定年まで過ごせた人って、実はすごく少ないんですよ。
生涯サラリーマンのイメージが最も幸福に描かれていたのは60年代ですね。例えば松下やトヨタみたいな会社は、社員はみんな社宅に住んで、私生活でも家族ぐるみで付き合い、上司が部下の仲人やって、子供が生まれたら会社から金一封、休みの日も社員でみんなでバス旅行、と。
リン: 擬似家族みたいな……
渡辺: そう、そういう幻想が提示されることによって、ハードワークが可能になったんです。自分の希望も適正も関係なくただ会社から与えられた仕事なのに、巨額のペイメントを保証されるわけでもないのに、死にものぐるいで取り組むことができた。
歯車としての人間をもてなすための企業形態が、日本の高度成長期を支えたわけです。焼け野原にビルを林立させたんですね。
リン: でもそれで、たぶんその時期で、ちゃんと目に見えてる何かが、つまりビルが立てたりするのは、まあ、苦労した甲斐があった、と思うんですね、「ああこうするのが正しかったね」のがあって。しかし今は一生懸命がんばっても何も見えない……
渡辺: そうそう。自分で考えることを放棄させられていたともいえるのだけど、頭からっぽにして毎日死にものぐるいで働き続けることができるのって、すごく幸せだったと思います。
でもね、それでいろいろなものができあがってしまったら、もう、末端の歯車としての人材が必要なくなってしまうわけです。
リン: これから高層ビルを建てるのは、もう青森の山奥みたいのしか場所がないんだったら、建てますか、みたいになっちゃって。
渡辺: そうそう。いつからか、企業は不要な人材のために、仕事のための仕事を作るようになってしまった。無理やり山を作って崩して山を作って崩して。「え、何のために山を作るんですか」「崩すためだ」「何のために崩してるんですか」「また山を作るためだ」みたいな状況になっちゃったんですね。そういうことをやってても大丈夫なくらいの蓄積が、今まではあったんですね、1990年くらいまではね。
けれど、もう、崩すための山を作る人材を抱えておけるくらいの余裕がなくなってしまった。
リン: 日本の会社というものに対する幻想が、一気に消えてしまったということですね。
渡辺: 今、リストラ、派遣切り、求人停止といった様々な形で、企業は人を減らしています。今はどの国の経済状況も悲惨なわけですが、日本の場合、もともと確固たる存在だと思って頼り切っていた会社から裏切られる形になるわけですから、心情的に悲惨なんです。死にものぐるいで滅私奉公してきた会社から突然切られる。あるいは、大人に言われた通りに一生懸命勉強して大学に合格してこれで一生安泰と高をくくっていたら、求人すら、ない。
リン: 空しいですね。まさに『ひらきこもり』の最初で語られていた、能率が10倍になった社会で、労働者数は10分の一で良くなるという話が……
渡辺: 実現してしまうということです。そこで、企業から切られた人々、ないし、企業に入れてもらえない人々は、生きる意欲を失くしちゃうわけです。けれど、本当はそこで、考えてほしいんです。自分は本当は、何をやりたいのかを。
リン: あ、そうですね。そこが重要ですね。
渡辺: 自分で考えずに与えられた勉強や仕事ばかりをやってきたような人々は、そこで、立ちすくんでしまうかもしれません。僕の友人で、一流企業を退職したばかりの人がいるんですけど、そいつがこんなことを言うんです。サラリーマンのふりをしているつもりだったのが、いつからかサラリーマンそのものになっていて、本当の自分が誰だってのか、ちっとも思い出せない、って。
これはつらいですよね。だから、できるだけ若い頃から始めてほしいんですね。
リン: 逆に16、17、18あたりで環境というか、状況にナイフ持って責め立てて、こう、「考えろ!」みたいなのはね……不幸にも10代後半から考えないといけない、逆に言うと幸い10代後半ぐらいからもう考えれるというね、見方によって。40代後半から考えないといけないと、もっとつらいよ、って話になっちゃうね。
渡辺: そうそうそう、つらいですよね。
リン: 台湾の学歴社会は、会社に対する幻想よりも、高学歴イコール高い能力、イコール高い給料がもらえる、と、考えてみたらわけのわからない根拠で形成されてるのですが。
まあ九割以上は中小企業なので、しかも家族企業が多く、会社そのものに幻想って抱きにくいかもしれないんですね。働いても他人のため、のような感じが根付いてる。
かっと言って、じゃ自分でリスクを背負って起業する覚悟もないので、やはり毎月自動的に入ってくる給料がほしい。結局、幻想は自分の能力に対してシフトすることになるのです。その、仮想的な有能感っていうのかな、を膨らませるために、何かが必要で……社会的に共同の認識があり、手っ取り早い、場合によって学費さえそろえばもらえる、「学歴」というものに依存することになるのでしょう。
だから、コースが見えなくても、必死に進学しようとするのですね。
渡辺: 先行投資みたいな話ね。
リン: 政府もそのような需要に応じて、専門高校や短期大学をがんがん大学にして行くのですね。台湾の人口2300万人なんですが、そのうち100万人が現役大学生という異常現象が起きたのです。それで大卒が溢れ、学歴としてチープになってるわけ。しょうがないから今度みんなは大学院に駆け込む。
雅ちゃんのように、自分の取り巻く環境、自分のやれること、やりたいこと、やるべきこと考えて、大学、大学院へ行く結論に至ったのではなく、ただ親や先生に言われるがままに、社会に出ていい仕事、いや、いい給料がもうらえるためとかで釣られて、思考がフリーズして進学していく。進学したら金が稼げる、そんな必然性はゼロなのに。
進学することは、自分にとって果たして意味があるのか、その意味は何かのも、自分の頭でよく考えずに、気軽に教育ローンとか組んで適当に楽しい大学生活を過ごしてはいいが、22歳大学卒業した途端にすでに負債30万元、のようなケースがあっちこっちに聞けるのです。
このご時勢、いい大学の卒業生だから初任給はいくらかほしいとか、ローンの支払いがあるから給料を多めに払ってくれなんて言ってる場合じゃない、内定が取り消されないだけでとほほですよ。
もうね、『女王の教室』の阿久津先生のセリフを借りて言いたいのですよ。「いい加減目覚めなさい」って。
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渡辺: 歯車はもういらなくなるから、歯車ではなく、CPUになること。無理なら、モーターになること。それが今大事だと思います。どんな仕事においても重要なのは、クリエイティビティー、つまり自分で考えて、動くことになります。
リン: できれば早く、できれば急ぐ……急ぐというのは言い方変なんですけど、時期ね。若いうちにいろいろと考えて動かす方がいいです。間違ってもやり直しが利く。そしてやってるうちは、あせらずにゆっくりやっていいと思いますね。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「自分をどう、見つけるか」は
2009年8月10日更新予定です

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