第1回:「おたく」と「宅」は同義語ではない?

リン: 林依俐(りん・いり)です。台湾の編集者で、全力出版の主宰でもあります。よろしくお願いします。
渡辺: 渡辺浩弐(わたなべ・こうじ)です。日本で小説家をやっています、よろしくお願いします。
リン: 今回は、渡辺さんがずっと提唱されている「ひらきこもり」という生き方について、お話を聞こうと思っています。なぜいまこれを取り上げようと考えたか、その理由を、先に話します。
2008年の十月に世界金融危機が発生してから今まで、引き金を引いたアメリカはもちろん、ヨーロッパでも影響され、失業率の上昇が目立ちます。日本でも経済的に大きな打撃を受け、ホンダもソニーもみんな予想業績を下方修正、リストラが止まらず内定もはじかれる、大変なことになっていますね。台湾でも、若い人のみならず、失業者の急増や無給休暇で、社会問題になっています。
ところがその一方で、マスコミの煽りもあるんですが、にわかに注目を集めているのが「宅経済」というキー・ワードです。宅・経済、よく「オタク経済」と訳され解釈されますが、実際の使われ方をみると、そうとも言えません。
渡辺: 「宅」とは、おたく、OTAKUのことですか。
リン: そうですね。間違いなく日本の「おたく」が語源です。でも台湾での「御宅」は使われはじめて約15年、「宅」になった時には意味が日本とかなり違うものに変貌しています。
渡辺: ああ、「御」が取れたんですね。
リン: 80年代中期以後、台湾社会がより開放的になりまして、日本の本とビデオ、またテレビゲームも含め、前よりずっと気軽に手に入れられるようになりました。それが90年代初期になってさらに加速し、ほぼタイムラグなしで…あっても半年ぐらい程度で、たとえローカライズされていなくても、日本からの輸入盤で手に入れる形ですが。
このような土壌に、ディープなマンガ好き、アニメ好き、ゲーム好きが育てられました。今までも、70年代の海賊版ローカライズのテレビ放映を見てマンガとアニメが好きになった層がいますが、この80年代中期に十代を送った世代はまた違っていて、もっと手軽にたくさんの作品が手に入り享受でき、より早くマンガを読みたいやゲームをもっとスムーズにプレイしたいがために、日本語を勉強したりしていました。それで前の世代のマニアより、むしろ当時の、正確にいうと80年代の日本のマニアと似たような体質や生態に持つようになります。
90年代初期は日本のOVAの全盛期で、新作が次々と作られ、内容の幅も広く、発売形態も多様でした。たとえば『銀河英雄伝説』のような毎週一本発売の荒業さえありましたね。その『銀英伝』も含めたアニメも、ほとんど海賊版ですが、少々待てればきっとどっかで売られていました。その中、だいたい94年前後ですが、日本では91年に発売された『1982 おたくのビデオ』と『1985 続・おたくのビデオ』が一本の海賊版ビデオになり、大学のマンガやアニメのサークルを中心ですごく話題になって注目を集めました。ちょうどその時も学内ネットのBBSが普及した時期で、「御宅族」、つまり「おたく」という言葉が一気に広まりました。
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渡辺: 『おたくのビデオ』が海外でそんな影響力を及ぼしていたとは。
リン: その原因は大きく二つありまして、一つは作品の中にあるルポルタージュ「おたくの肖像」です。アニメの途中で差し込まれる実写の映像で、インタビュー交えて当時の日本で「おたく」と呼ばれた人の生態が紹介されていますね。しかもアニメに挟んだ実写を使う手法で非常に目新しく、「おたく」という外来の概念でも、当時ではまたそんなに理解されてないコスプレイヤー、マンガ・アニメファンとの重複が少ないがいるはいるサバイバルマニアとか、「日本ではこのような人をひっくるめて『おたく』と呼ぶのか」と、わかる、ような気分になります。
もう一つは、さきほど言及した80年代の日本のマニアと似たような体質を持つ人たちは、その頃ちょうど大学生や高校生になっていましたので、「自分もこの人たちと少し近いところがあるぞ」みたいな、共感を得つつ、同時に「おたく」は日本では蔑視されていることもなんとなく感じ取っていました。
かたや、『おたくのビデオ』シリーズの作りで、後半は「おたく」をかなり高く上げてるじゃないですか、『戦え!オタキング』の歌だってすごく盛り上がるものですし。それがまた当時、日本のサブカルとシンクロしていて台湾のマニアが抱えいた、周りに理解されないある種の劣等感から救ってくれました。その「『おたく』は日本で蔑視される」と理解してる人と同時に、「『おたく』は尊敬される、尊敬すべき存在だ」と理解する人もいます。時が流れ、いつしか後者の方が強くなっていました。まあ、これはアメリカでも同じ現象が起きてますね。
「おたく」という言葉は『おたくのビデオ』で「御宅族」として台湾に輸入され、その文化に共鳴しさらに深く踏み入れてる人もいれば、表層だけ書き取って嬉々と「御宅族」と自称する人はもっとたくさんいました。ただどっちにしても、またアニメ・マンガ・ゲームマニアの間、つまり仲間内でしか語れないものでした。
時は2005年、『電車男』の映画とそのあとのドラマも台湾で放映されて、その仲間内の言葉が急に大衆のモノになりました。これは日本でも同じと思いますが。特にテレビドラマ版の『電車男』は、伊藤淳史の演じる主人公の「おたく」を、大衆でもわかりやすいステレオタイプにして、それを台湾の視聴者にも届けたのです。
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日本ではドラマの大きな舞台である「アキバ」や主人公がよく口にする「萌え」に結びつくが、台湾の場合はその内気さといつもパソコンの前に粘ってる姿、そして「御宅族」の「宅」から、逆に「家」に連想し、「家から出だからない人」や「ずっと自宅にいる人」に結びつくことになりました。あの頃から、「おたく」だけでなく「ひきこもり」の意味も含まれるようになっています。しかも前の「御宅族」よりも、広く使われています。家にこもったままで出かけようとしない男は「宅男」と呼び、女は「宅女」ですね。
渡辺: 「宅男」のイメージはわかるのですが、「宅女」とは。腐女子みたいなことですか。
リン: かぶっているのもあるかもしれませんが、「宅女」はかならずしも腐女子ではないんですね。「腐女子」という言葉は、台湾ではちゃんと「BL好きの女」そのままの意味で、「腐女子」か「腐女」のような形でサブカル界隈に使われていて、まだまだマスコミの餌食になっていない言葉ですが。「宅男」も「宅女」も、基本的には両方とも「ヒッキー」の意味です。性別が違うだけで。
しかしそれだけでなく、最近はまさにその意味を拾って、景気の低迷した今この時に新しい顧客層としてマスコミで盛んに取り上げられるようになっていて、「宅経済」という言葉が出てきました。「家の中にこもって、外に出ない人たち」向けの経済、と。日本で取り上げられていた「萌え市場」とは似てるけれども、もっと包括性の高い言葉のようですね。こちらの実体はまだ計られてはいなくて、まあ、話題優先といったところなんです。
最初は「ヒッキー向けの経済」のように使われていましたが、次第に在宅アルバイトや内職もそう呼ばれるようになりました。「不景気なのに家にこもってる人向けの産業が儲かってる」から「リストラされて家で毛糸帽子を編んでブログで売って儲かった」までをすべて「宅経済」の一言で括り、「宅経済が盛り上がってる!」などとわけわからない使い方も。

芸能人の母親が滷味(煮込み料理の一種)を作ってネットで売り、
売れ行きがいいから「宅経済がすごい」との内容のニュース。
ちなみにどうでもいいかもしれませんが「滷味」についての豆知識はこちらにご参照。

まあ流行だから語感もいいので「宅経済」を繰り返してるだけだと思いますが。ただし、実際に調べてみると、例えば台湾のオンラインゲームビジネスは、経済が落ち込み始めた2008年11月、12月あたりから、確実に収益がぐっと上がっているんです。また、ネットショッピングやオンラインのオークションサイトなど、オンラインの経済活動は軒並み活発化しています。なので、そのめちゃくちゃな報道姿勢をさて置き、「宅経済」という言葉で表せる、表せるべき何かが、確かにあると思います。
そこで渡辺さんの著書『ひらきこもりのすすめ』のことを思い出して、読み直してみたら、びっくりしました。最初の版が出たのが2002年で、当時、私は人生啓発論と、創作論と、近未来ビジネス論を組み合わせた非常に面白いスタイルの本だと思いつつ読んでいたんですが。久しぶりに本を開いて読み直してみると、それ以降の5、6年のこと、特にネット世界のことをかなり的確に書いてるんですね。例えばGoogleYouTubeの台頭を予言しているような下りもありましたね。
渡辺: ありがとうございます。
リン: で、その後『ひらきこもりのすすめ2.0』として追補版が出たのが2007年。そこでは、今の金融危機に至る世界経済の動きが予言されているんですね。まだ、これから起きるはずのことについてもかなり鋭いことがたくさん書かれているので、それらについても、今日はたくさん話していただけたらと思うんですが。
ひらきこもりのすすめ2.0 (講談社BOX)

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渡辺: はい、もちろんです。
リン: 個人的に特にピンと来た部分は、資本主義が行き詰まり、アメリカが破綻していくことの予想です。私の父親は実業家なのですが、同じ頃から似たようなことを言ってたんですね。
渡辺: リンさんのお父上は台湾で有名な企業のリーダーであり、その発言も株式市場に大きな影響力を持っているそうですね。以前僕も訪台した折にお会いすることができたのですが、非常に気さくで、頭が柔らかい方という印象でした。
リン: その父が言っていることと同じことが日本の本に書いてあったので「うわあ、こっちもひとり同じことを言う人が!」と驚いたわけです。そこで私としては、この状況は予想できたことだった、としたら、これを突破することもシミュレーションできるはずだ、と。そこで「ひきこもり」や「おたく」といったキー・ワードが重要になるはずだ、と。ぜひこれを、もうちょっと一歩踏み込めればな、と思ったわけです。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「経済現象か、文化現象か」は
2009年5月11日更新予定です
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