第2回:経済現象か、文化現象か

渡辺: リンさんは、お父上の出資を受けて出版社(全力出版)を経営しているわけですよね。ビジネスのバックグラウンドのもとで、コンテンツプロデュースを行っている。リンさんの立ち位置がすごく面白いと思うのは、そこから経済と文化の両方が良く見えているということです。
リン: あ、そうですか。そうか、気付きませんでした。
渡辺: 「おたく」の本質を理解するには、そういうスタンスが大事なんです。なぜなら、「おたく」という言葉は今や文化用語でもあり、経済用語でもあるからです。
お話を伺っていると、つまり台湾では、その経済的側面の方が先に注目されているということなのではないでしょうか。「おたく経済」としてね。あるタイプの若年層の間でどういう風にお金が使われているか。どういう商品がどういう価値をもって流通しているか、という観察のされ方ですね。
リン: 鋭いですね。台湾社会では、政府も業界も学会も、アニメやマンガのようなコンテンツビジネスに対する視線は基本的にほとんどその経済効果に集中していますね。
マーケット規模を算出するのにすごくすごく熱心なんですが、そのような規模になりえた理由についてや、その規模を維持する方法については、誤解に基づいた推測や想像ばかり。「日本はマンガとアニメの専門学校がいっぱいで、人材教育に力を入れてるから発展しているのだ」とか、「日本政府がマンガ産業を援助して奨励しているからだ」とか、麻生太郎が総理になってから、そのやっかいな思い込みがもっと激しくなったのですが。
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本題とは全く関係ありませんが、
ただローゼン閣下の関連ネタとしてすばらしかったので張りたいだけです(リン)
特にATフィールドがいい…と元ネタはこちら

そんなちゃんとした考察もせずに得た結論を元に、的外れな政策をがんがん推進していたら、ただの税金の無駄遣いになるのに。近頃はまた、コンテンツ産業を「低コスト高リターン」という理由で重点推進産業にしているが、どう見てもとれないタヌキの皮算用に一所懸命、哀れなもんです。
それで現在「宅経済」やら「おたく経済」やらで騒ぎますが、見つめているのがやはり金と品物の流れで、まあそれも非常に重要だと思いますが。しかし、大事な何かが欠落しているため、的を射れずに空回りして、せっかくぼんやりと見え始めた新しい概念が、ただキャッチフレーズのみに留まりチープに消費されてゆくのです。
渡辺: 本来「おたく」という言葉は、特異な文化現象として捉えるところから始めないと正しい分析はできないわけです。
リン: その通りですね。そうだ、そもそも日本で「おたく」という言葉が生まれた頃のことなど、記憶にありましたら教えてください。
渡辺: もともと日本での「おたく」この言葉は、80年代サブカル系の雑誌メディア界で頭角を現した大塚英志さんとか中森明夫さんといった若手評論家の方々が使い始めたことがマスコミでは最初だったわけですが、その数年前からアニメやマンガのマニアの現場では普通に聞かれる言葉だったんです。
ここで、大きな誤解を解いておきたいんですが、おたくというのは自「宅」にひきこもって愉しむタイプの人、という意味でできた言葉ではないんです。勘違いしている人が多いんですが。
リン: 台湾だけでなく、日本でも今だにそう思っている人が多いですよね。
渡辺: だから、心療用語としての「ひきこもり」との混同が起きるわけです。おたくの語源は「家」、ではなくて、二人称なんです。つまり、他人に対して「あなたは」とか「君」ではなく「おたく」と呼びかける人達のことを「おたく族」と呼ぶようになったんです。
アニメの上映会とか同人マンガ誌の即売会とか、あるいは特撮映画のファンの集まりとか、そういうところで、初対面でも、同じものごとを好きだということがわかっている人々と出会うことになるわけです。その微妙な距離感というか不思議な親近感に基づいてお互いのことを「あなたは」や「キミは」ではなく「おたくさあ」なんて呼び合っている状況が当時、外側の人達からはとても特異に見えたみたいなんです。なんか変な、失礼な奴らだなあなんて。けれど、今ならその雰囲気、わかるでしょう。
リン: ええ、よくわかりますね。
渡辺: コミュニケーションができない奴ら、みたいに思われていたかもしれませんが、実はそこに新しいタイプのコミュニケーションがあったわけですね。「おたく」同士で呼び合う人々の間に、非常にマニアックな小さな世界のことを一緒に深く深く掘り下げてるんだという共感意識があったということです。
リン: それは、『ひらきこもりのすすめ』に書かれていたような、日本古来の職人世界的なこだわりと似たものかもしれません。
渡辺: そうです。これは日本でオタク文化の勢い、具体的に言うとマンガやアニメやゲームといった作り込みが問われるコンテンツ産業が育ったことの背景に、日本古来の、ものづくりの美学というものがあるんです。
そもそも江戸時代は鎖国していて、つまり国自体が「ひきこもり」だったわけです。そこで独特な文化が熟成していたんです。趣味的な非常に狭い世界のものをですね、お金儲けとか一般世間の評価ではなく、自分自身の趣味志向とプライドのために、一生かけて掘り起こすような。そういう行動によって、茶器や食器が芸術品になったり、わいせつ図画としての版画が美術品になったりということが起きたのではないか、と僕は考えています。大量生産を旨とする世界では無視されてしまうような細部までのこだわりによって製品の質を上げていくということです。
それは生産性や商業性ではなく、趣味的な美学を基軸としているからこそありえたクオリティー。そこに「おたく」の原点があるわけです。
だから本来それは資本主義的な経済の文脈だけでは語れないものなんです。文化としても、捉えなければならない。
日本でもね、「オタク経済」「萌え経済」みたいなものが一時期盛んに語られ、そのマーケットを専門家が分析しようとしていたことがありました。なんとか総研の方や、かんとかアナリストの方に、僕なんかも話を聞かれることがあったんですけど、そういう人達は、アニメやマンガの客層のことを、「おかしなことにじゃんじゃん金を使ってくれる奇特な人々」というふうにしか見ないんです。いや、はっきり言うと、アニメも見ないゲームも遊ばないようなスーツ姿のエリート・サラリーマンは、おたく、という人々に対して蔑視、というほどではないんですが、ただの新しいカモとしか見てないということにショックを受けたわけです。
オタク市場の研究

オタク市場の研究

野村総合研究所台湾にもリサーチしにきました
……やる気だというならあると思いますが……

リン: 結局どこでも一緒ですか……
渡辺: ここは強く言いたいことですが、制作者だけではなく、その、お金を払っている側、消費者の側に創作性があるところが、おたく経済の面白いところなんですね。
ひらきこもり」って言葉を提示したのは、「ひきこもり」っていう言葉と「おたく」っていう言葉の曖昧な関係を、経済、文化、そして社会の経済活動、個人の創作活動、両側から捉えることによって明確にしていきたいという考えも、あったからなんです。だから、リンさんのようにビジネスマンでありクリエーターでもあって、さらに両方の視点からものごとを見ることができる人に、期待しているわけです。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「進化する個人、そして社会」は
2009年5月14日更新予定です
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