第4回:台湾から見る世界の今(上)

渡辺: 折角ですので台湾の現状と近未来についてお聞きしておきたいのですが。これまでのことを振り返ると、台湾には、中国だった時代と、日本だった時代があるわけですよね。そして20世紀の中頃、中国で革命が起きた際に、政府主流派の人々が南京から逃げ延びてきて、とりあえずのつもりで政府を樹立して統治を開始したところが、とりあえずのままで現代に至っています。その中途半端な状況の中で、製造業を基軸に20世紀後半、資本主義世界の中で大きな成功を収めたわけです。
そして今後、台湾はどうなっていくのでしょうか。
リン: 面白いですね。地図から消えてしまう可能性も含めて。
渡辺: 思いこみかもしれないのですが、経済と文化の両方をわかっているリンさんが、アジアと欧米、共産主義と資本主義、そういった二つの世界の境界に常に居続けた台湾のような場所からこそ見えるようなことがあるのではと。
リン: 恐縮です。では、考えを整理することもかねて、まず現状に至るまでの流れをおさらいしたいと思います……そうですね、20世紀後半での台湾の経済的な成功は、個人的には日本統治時代、および国民政府時代の後期に実行したインフラの整備が基盤になり、その上に築きあげたものだと思います。
1945年以前の日本統治時代、日本は台湾について農業を主要産業としていたため、水利事業にすごく力を入れていました。八田与一が設計して建造した、嘉南平原の耕地面積を30倍も増やした嘉南大圳はたぶん一番有名ですね。
嘉南平原はもともと、降水量が少ないから何も育てられなかったのに、それを人間の力で変えてしまったのです。八田与一は今でも、台南当地の人に評価され、慕われています。
日台の架け橋・百年ダムを造った男

日台の架け橋・百年ダムを造った男

それ以外にも鉄道と港と学校の建設、公共衛生の改善、義務教育の実施など、台湾の産業近代化と生活水準の向上に貢献したインフラ整備、教育と衛生システムの設計をしました。それが戦時中だけではなく、戦後の経済発展にも大きく影響しましたね。特に鉄道は、80年代まで台湾の動脈でしたからね、その効果は90年近く稼動していたわけですよ。
時には「台湾の人々をより統治しやすく、台湾の資源をより簡単に搾取するためにやったのだ」とか「大したことない、評価する必要がない」とか言ってる人もいますけど、私は彼らに同じ条件を与えて『シムシティ』を50年プレイしてほしいですね。ここまでやれるならやってみろ、と。
シムシティDS2~古代から未来へ続くまち~

シムシティDS2~古代から未来へ続くまち~

渡辺: 政治的なこと、歴史的なことは常に主観的にしか語れないのでこういう場でその時代の話をすることは難しいと思っていたのですが、避けずに話して頂いてありがたいです。
リン: 正直、政治の差別や格差を言い出したらキリがないので、そんなアホなことばかりこだわってると、歴史から何も見出せないと思いますが。これは同じく国民政府時代に実行した建設に当てはめられますけど。
渡辺: 第二次大戦後ですね。
リン: 国民政府時代というのは、1949年台湾に転移してきた中華民国政権のことで、その「とりあえずの政府」ね。
軍隊と政権を台湾に連れてきた蒋介石ですが、台湾独立運動家の活動や小林よしのりの『台湾論』で、日本では「台湾を暴力で支配した悪玉」みたいな認識になってる人は多いようですけど。まあ確かに蒋介石ファシズムの崇拝者で、台湾で政権を維持するため、「白色恐怖」などの弾圧行動で反対勢力をつぶし、無関係の人々もかなり処刑していたのですから、そういう評価がされてもしょうがないんです。でも時代は時代で、ファシズムも国を救う術として信じられてた時代もある、と思いますが。
新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論

台湾版は発売当時買い占められて配られたり焼かれたりしてかなり物騒な一冊。
海外の台湾独立運動家にすごく影響されて、主観的な主張も強いですが、
実に綿密な取材をもとに、台湾に好意を持て描いたいい本だと思います(リン)

朝鮮戦争は米ソ大戦を引き起こし、中国にも攻撃が仕掛けられる、その後に大陸に戻れる。そう思っていたら、スターリンが亡くなって朝鮮戦争があっさり終わってしまった。経済も政治もできるだけアメリカに媚びて、選挙を推進したり農地改革をやったりとか、台湾が資本主義を徹していたのもそのためだと思いますが、アメリカに援助と国連も含めた外交的な支持を求めようとしても、1971年に国連に追放され、しまいに1978年にアメリカからも断交された。
蒋介石は、いったん中国を統一したこともあった人ですが、晩年は台湾という小さな島に閉じ込められ、この小さな島で中国のために中国に戻るためにやってきたすべてのことが、ことごとく期待通りの結果にはならず、惨めと言ったら本当に惨めだと思いますよ。業というかカルマというか、人の気持ちを考えずにしてきたら、そういった見えないものは、やはりはね返ってくるのですね。
蒋介石は亡くなるまで「台湾を渡り板にして中国に戻る」ことをあきらめなかった。台湾を仮に身を置く腰掛けとしてしか見ていないから、政治プロパガンダと、軍事目的以外の公共建設についてはそんなに力を入れてなくて、むしろ統治時代の日本の方が根を下ろすつもりでやっていたように見えます。それは日本は台湾を渡り板ではなく、ずっと確保したい食糧倉庫として見てましたからね。
ただ蒋介石が亡くなり、その息子の蒋経国が総統になって、いろいろと変わりました。変わらざるをえなかったのですが。
蒋介石時代の農地改革で良い影響もあるが、結局日本統治時代で築き上げてきた農業中心の経済をズタズタにしてしまい、資本は工業の方に流れ、外資も積極的に呼び込み、少しは発展に結びつきましたがやはり軽工業にとどまり、70年代に入っては国連追放など一連の外交の失敗など、蒋経国蒋介石時代の後期ですでに内閣に身を置いてるから、権力のバトンが渡される前にやっかいな現実に直面してましたね。
70年代という、オイルショックもあった世界でも変動の多い時期に、外交の失敗で国際に孤立されているから、経済をなんとかしないと自らの身が守れない、アメリカに媚びるよりアメリカに必要とされるようになる、などと踏んだのか、軽工業を重工業に切り替えるためのインフラ整備、「十大建設」を内閣時代に企画実行しはじめ、80年代に入る前に成し遂げたのです。日本のためや中国のためではなく、台湾の将来のためのその的確な公共投資は、70年代後半の台湾の経済を活性化しました。
空港や、高速道路、原子力発電施設などを建設し、オイルショックを鑑みて石油化学工業を推進して。税金の無駄遣いの多い今思うと、その時には実に先読みをして考えぬいた、実りの多い経済政策を実行していましたよ。
またアメリカの80年代でユーフォリアを経て、低迷が見えてしまってたんじゃないんですか。資金は投資先を探してアジアへ来て、最優先の選択はやはり日本ですが、政治的に孤立されている台湾も候補に入れられたのは、やはり十大建設があったからと思うのです。日本へ入った資金が、そのあとバブル景気になったんですが、台湾に入った資金は、製造業、ハイテク産業への発展につながることができたのです。
ちなみにハイテク産業への方向転換も、この時期で決められ実行されたのです。私は1976年生まれなので、成長期はちょうどこの時期と重なってましてね。父が30代の頃から、その当時「今すぐには回収しないが将来のためにやらなければ」というハイテク産業に賭けて身を粉にして働いて、10数年後ちゃんと結果を生んだ人なので、その「無から有」の過程を、より間近に見ることができました。執行時にはかなり強引なところもあったけど、方向性がとても明確で、台湾を繁栄させるような軌道に乗せたのです。
蒋経国蒋介石時代、政治的な弾圧行動を実行した人でもありますので、その弾圧行動に耐えかねて、外国へ脱出した台湾独立運動家からすると、彼も悪の一味なんですけど。日本もそうなってる感じがしますね。この十大建設を「見栄っ張りな蒋式建設」とか、運が良かったとか、計画性経済だから役人と財閥がこれらの公共投資で不正にえらく儲けてたとか言う声も絶えませんが、80年代初頭に空港と高速道路を揃えて、そしてそのあとの十年間で、関連の追加整備がちゃんとできていたからこそ、90年代の台湾の厚い経済基礎が作れて、その後の李登輝時代で李登輝が公共施設の建設を省みずに民主化などの政治改革、悪く言えば国民党内の粛清に打ち込められた、と思います。
また蒋経国時代で、戒厳令の解除と、中国との交流を民間レベルで再開させたなど政策も実施されました。台湾では近年蒋経国を再評価する声も高まっていて、彼のことを慕って懐かしんでいる。もっとも親しまれて、もっとも懐かしまれる総統だとも言われてます。原因はやはり、十大建設がもたらした富と進歩だと思いますよ。
ただまあ、その経済効果は、陳水扁時代になってさすがに消耗しつくされましたが。


【つづく】


渡辺浩弐×林依俐 
対談・「宅」の密室からつなぎ合う世界へ
次回「台湾から見る世界の今(下)」は
2009年5月21日更新予定です
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